メンズトラッド変遷記 | Room Style Store

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2020/05/24 00:00

戦後の日本にメンズファッションの文化を広めたVANの歴史は短い。1948年に設立され、アメリカ東部の名門大学(アイビーリーグ8校)に通う学生達の服装をアイビールックとして紹介するとたちまち若い世代を虜にしていった。60年代にはVANの紙袋を抱えた若者が銀座のみゆき通りに集まり(みゆき族=不良)社会問題にまでなったという。

一つの文化を創り上げ、成長を続けながら74年に絶頂期を迎えたVANだが、僅か4年後の1978年に倒産してしまう。30年を駆け抜けたVAN、その晩年に出会えたことで装いの基本を一から学んだ貴重な70年代を過ごした。

奇しくもVANの倒産翌年の79年、アイビーを卒業した大人が身に付けるアメリカントラッドの総本山Brooks Brothersが青山にオープンする。当時はイラストのカタログからシャツとネクタイの組み合わせを知り、ボタンダウンシャツやレップタイを買いに行ったり用もないのにショップを訪れてはアメリカの雰囲気を味わう、そんな80年代を過ごした。

1990年になるとロンドンのHACKETTが日本に上陸、今度はアメリカントラッドの源流ともいうべき英国スタイルを知ることになる。Vゾーンの狭い3つボタンのジャケットや袖の本切羽、控えめなスーツにボールド(派手)なカッタウェイシャツの組み合わせはとても新鮮で、自由が丘や銀座の店舗はもちろん、ロンドンのニューキングスロードにある本店にまで行ったことさえある。思えばミレニアムまでの10年間はブリティッシュトラッド一直線だった気がする。

その後クラシコイタリアやプラダなどデザイナーズもの、ビスポークの世界やファストファッションなど様々なジャンルを試してきたが、基本は日、米、英から学んだようなものだ。そこで今回はトラッドな着こなしについて当時のアイテムを交えながら振り返ってみようと思う。


①日本編

  1)…往年のジャケット

写真は45年前のVAN。3ツボタン段返りでセンタ-フックベント、ダーツのないサックスタイルのブレザーになる。今ならセンチェリー21の制服と間違えられそうだが当時の一番人気といえばネイビーではなくこのキャメル色だったと思う。靴も定番のリーガルビーフロールローファーと思ったが現存していないのでAldenのロングウイングチップを用意、ロイドのミュージックケースで脇を固めた。


  2)…シャツにこだわる
ユニクロの商品の中で評価の高いオックスフォード地のボタンダウンシャツ。その背景にユニクロ会長の実家がVANショップを経営していたことが関係しているのは間違いないと思うが、写真のシャツもVAN出身だった末貞会長が興した鎌倉シャツの逸品だ。今、VANに合わせたいシャツといえばこの鎌倉シャツが一番。誰よりもVANのことをよく分かっていると思う。VANのノベルティにも似たエンブレムは英国製、ピンで後付している。


 3)…基本のネイビーブレザー

こちらは定番のネイビーブレザー。買ったのはキャメルよりずっと後だが、今着ても新鮮だ。当時の若者を夢中にしたVANならでは、着るだけで元気が出てくる。鉄板の相棒、グレーパンツは「プリーツのないパイプドステムのシルエット、裾はダブルカフ」が暗黙の了解。大人になると同じリーガルでもローファーからインペリアルウィングチップへと格上げするのが習わし(笑)だった。写真の靴は35年物、もちろん今も現役だ。

 4)…ネーミングの妙
VANのヒットの陰にはネーミングの良さがあったことは間違いないだろう。名前は短く覚えやすい。バランスも配置も絶妙なアルファベット3文字を並べたロゴは同じVANから発売されたKENTよりも断然お洒落だ。Aの文字だけ赤くしたタグは今も新鮮、コンセプトが秀逸なのがよく分かる。ステッカーやワッペン、エンブレムやノベルティ、イベントなどそれまでの国内服飾メーカーがやっていない方法でブランドを浸透させたVANのマーケティングは今も色褪せていない。


②米国編

 5)…ブルックスブラザーズを着る
アメトラの聖地、ブルックスブラザーズ青山店が扱う直輸入品は高根の花、特にオウンメイクやメイカーズのタグが付いたものは憧れだった。写真はその上を行く85年製スペシャルオーダーのジャケット。ゴージラインや袖付けは勿論、本切羽からボタンホールまで手縫い工程を増やし、既成にはない生地やデザインで仕上げたエクスクルーシヴな一着だ。


6)…スペシャルオーダーのタグ

右内ポケットの中側に縫い付けられたタグにSPECIAL ORDERの文字が見える。85年のオーダーだからすでに35年物のジャケットということになる。左隅に見えるチャッカブーツはブルックス青山店の帰りに原宿ビームスFで購入したポールセン&スコーン(クロケット&ジョーンズ製)。手袋はアンラインドのペッカリー、これもかなりの年代物だ。

7)…最新のブルックスブラザーズ

こちらは今季物のコットンスーツ。今風の上下セットアップでブルックスのサブブランド、レッドフリースのものだ。往年のブルックスゲートに近いといえば分かりやすいだろうか…2ツボタンで胴絞りが強く丈の短いジャケットにトリムフィットのパンツは正統派のブルックスファンには馴染まないかもしれないが、みゆき族のショートレングスな着こなし風が気に入っている。靴はオールデン×ブルックスのコードバンタッセルに影響を受けてロンドンのジョージクレバリーにビスポークしたもの。
 
  8)…ブルックスブラザーズの行方
今回のCOVID-19感染による影響でブルックスブラザーズの3つのアメリカ国内ファクトリー、マサチューセッツ州のサウスウィックとノースキャロライナのガーランドシャツ、それにNYのロングアイランドにあるネクタイファクトリーをすべて閉じるとのこと。写真のジャケットは既にポルトガル製、そしてブルックスブラザーズ本体も新たなオーナーを探しているとの情報もある。マークス&スペンサーによる運営時代からアメリカ製を見直しかつての輝きを取り戻したかに見えたブルックス…この先どうなるのか行く末が気になる。

⑨英国編

 9)…真打の登場

自由が丘のハケットで最初に買ったアイテムは派手なストライプのシャツ。初めて袖がダブルカフのシャツを買ったのでお手頃なゴム製のノットカフをあちこちで探してはシャツの袖からチラ見せするのがお気に入りだった。写真はMADE IN ENGLANDのジャケット。ざっくりした風合いが気に入って今も愛用している。これを着てデパートの仕立てコーナーを通ると袖の本切羽を見て「どちらで仕立てられたものですか」と聞かれたこともある。それが縁で後年ビスポークに興味を持つきっかけができたのかもしれない。ここではそんなハケットに敬意を込めてクレバリーのビスポークブーツを履いている。

10)…ハケットの撤退
1997年にはライセンスの関係でハケットが日本から撤退してしまう。閉店間近のある日、青山ベルコモンズ前にあるフラッグシップに立ち寄り最後の買い物をしたり名物店長のTさんとよもやま話をしたりしたことが懐かしい。写真の切羽部分を見ると昔の誂え服のディテールなのか生地を贅沢に使っているのが分かる。それから3年後の2000年、初めてロンドンでスーツを誂える時、参考にしたのもハケットのスタイルだったことをふと思い出した。


11)…コーデイングスとの出会い
ロンドンを初めて訪れたのが1991年。日本のハケットで下調べをしていざニューキングスロードの本店へ…と思っていたらピカデリーにHACKETTの店があるのを見つけてしまった…だがよく見ると店舗はコーディングス???…なんと店の一部をハケットが間借りしているのだった。おかげで名店コーディングスとも出会えた実り多き初渡英だった。写真はハケットが日本から撤退して英国物が手に入らなくなったのでコーディングスにメールオーダーしたジャケット。靴も同じくクロケットから取り寄せたロシアングレインの外羽根Peebles。鞄は万双のブライドルトート。

12)…英国製既製服の直し
インポートの既製服はたいてい袖が長い。コーディングスはハケット同様袖の本切羽が既に切られているので袖先から詰められない。そこで肩から詰める時に問題となるのが格子の柄。身頃と袖の格子が合わなくてはいけないので格子1スパン、あるいは格子2スパン分ときりのいいところで詰めてなおかつ自分の袖丈と合うか柄の大きさが関係してくるのだ。ジャケットの着丈を尋ねて格子の数で割り、1スパン分の間隔を割り出してから注文した。11)の写真を見ると袖丈がフィットしている様子が分かるかと思う。VANで育ったのでシャツの袖がジャケットから1.5~2.0㎝覗くべし(この~すべしというのがIVY道の決まり文句だった)というのを守っている。

昔はVANならデパートの店員さん、ブルックスならば仲良しのセールスクラーク、ハケットならば店長さんとのやり取りを通じて買い物をしたものだ。ところが今回の新型コロナウィルスの感染拡大で店舗は閉鎖…しかたなくオンラインショップで買い物を済ませた。外出自粛の中、配送業者の献身もあってオーダー品はスムーズに到着。なんと便利な世の中になったのかと実感する。

ただ昔のアイテムは「いつどこで、どうやって買ったのか」鮮明に思い出せる。商品と買い手の間に売り手がいることでより記憶が鮮明に残るからなのだろう。一方メールオーダーで買ったものは画面が全て…残念ながら記憶は曖昧になりがちだ。買ったことさえ思い出せなくなることもある。今後ソーシャルディスタンスが定着しても人と人とがやりとりできる世界になることを期待したい。そして、その時までニューヨークのブルックス本店やロンドンのコーディングスが健在であることを願っている。

by Jun