2021/07/17 06:21

日本でビスポークシューズが語られるようになった90年代、雑誌の特集で「誂え靴と既成靴、どちらが履き心地が良いのか?」といった内容の結末は大抵「次元が違う」あるいは「比べることに意味がない」だった。確かに大多数に合うようデザインされた既成靴と一人の顧客のために作られた誂え靴では方向性が違う。だが、誂え靴はどんな時もパーフェクトなのかと問われれば答えはそう単純ではない。
既成靴が全く足に合わない人にとって誂え靴はパーフェクトな靴を提供してくれる唯一の手段だろう。だが、その一方で「足にぴたりと合う誂え靴」より「履き心地が多少劣る既成靴」の方が格好良かったな…と思ったり出来上がった誂え靴を見て「何か違う…」と戸惑ったりする注文主もいる。それは作り手の問題というより、注文主が誂え靴に何を求めるかによって答えが異なることを意味する。
そう考えると万人向けであっても依頼主向けであっても靴は履くもの、履いた感じや見え方、デザインなど比較することで誂え靴の強みも既成靴の強みもはっきりと見えてくるはずだ。そこで今回は誂え靴と既成靴を敢えて比べてみながら感じたことを書こうと思う。
トップ写真は誂え靴三銃士VS既成靴三銃士が相対した場面
(1) 誂え靴チーム

夏に相応しくテーマはローファー。誂えのローファーに長けた店といえばジョージクレバリー。30足注文したがそのうち10足はローファーなのだから如何に魅力的か分かると思う。最近クレバリーでアウトワーカーをしていた吉本清一氏にオーダーしたが彼もローファー作りに定評がある。おっと、肝心の誂え靴陣営はフルサドル、エキゾチック系(アリゲーター)、スプリットトゥの3型がラインナップ。
Shoes : George Cleverley
(2) 既成靴チーム

対する既成靴陣営はハーフサドル、エキゾチック系(コードバン)、スプリットトゥの3型。実はこの3足、個人的に「至高の3大既成靴」と名付けるほど抜群の履き心地を誇る。共通しているのはいずれもアンラインドだということ。靴のシェイプを保つ芯はつま先と踵部分のみ。後はアッパー素材の柔軟性でフィットさせている。その感覚は履いていることを忘れさせるほど…誂え靴にとっては脅威のフィット感だ。
左: JohnLobb Ashley
中 : Alden Unlined Penny
右 : Edward Green Harrow
★第1試合 スプリットトウカジュアル対決★
誂えの方はホワイトバックスとロンドンタンのコンビ、元々エドワードグリーンのハーロゥを参考にバイカラーでオーダーしたものだ。一方既成はそのハーロゥ。貴族向け室内専用の革靴が出自とのこと。NYのポールスチュアートでエドワードグリーンとのWネーム品。
①誂えから:スペクテイターズその1

土踏まずを持ち上げるウェスト(アーチ)部分や足に吸い付く履き口など既成靴とは異なるフィット感が見ただけで分かる。ホワイトバックスとロンドンタンのコンビも誂え靴ならではの素材。誂え靴のアドバンテージを遺憾なく発揮している、が履き心地はタイト。午後になって足が浮腫むと一旦脱いだ後再び履く時のきつさは相当なもの。飛行機に乗る時決して履いて行けない靴だ。
Pants : Beams
②スペクテイターズその2

誂え靴は既成靴よりも高価だ。その分長持ちするようアッパーにはライニングを貼りしっかりと芯を入れるのだろう。アンラインドのローファーをクレバリーに提案したが快く思わないことがラストメーカーの表情から伺えた。もしこの靴をアンラインドで仕上げていたら飛行機から降りてブルドッグをリードするウィンザー公の写真よろしく飛行機に乗る時履いて行けたのに…と思う。
デザイン ★★★★★
フィット ★★★
外見 ★★★★★
③既成から:ハーロウその1

既成靴のトップバッター、ハーロゥはその柔らかな履き心地に心酔した最初の靴だ。アンラインド仕様という言葉も同時に知った。ともすると「ふにゃふにゃ」な感触だが足が疲れている時、怪我した時、一日のうちに脱いだり履いたりする時は迷わず選んだものだ。写真でも見える履き口後半、踵部分の隙間がソフトな履き心地を生み出す魔法の空間。決して踵が抜けることがないのが不思議だ。
Pants : PT01
④ハーロウその2

アンラインドの靴はライニングがない分足の形、中でも小指部分がアッパーに出やすい。だがハーフサイズ上げると途端に踵が抜けることもままある。つまり足のシェイプに沿うことで「脱げにくくなる」代わりに足の「シルエットが出やすい」ということになる。もしオフィスで一日中仕事をすることがあったらこのハーロゥの黒を履いてみたい。さぞ快適なオフィスワークだろう。
デザイン ★★★★
フィット ★★★★★
外見 ★★★★
【結果】
第一試合は誂え既成ともに13点と引き分けに終わった。いつでも履ける利便性はハーロゥの最大のポイント、そこで得たリードが引き分けという結果に結びついたが、今後クレバリーのスペクテイターズを履き込んでいって良い具合にこなれた頃、恐らくハーロゥはかなりくたびれているに違いない。その時誂えの優位性が見えてくるだろう。耐久性では誂え靴に分がありそうだ。
★第2試合 エプロンカジュアル対決★
共にスクエアでロングヴァンプのローファー、誂えはアリゲーターの難しい素材をピックステッチでエプロンカジュアルに仕上げたクレバリー渾身の作。一方の既成のジョンロブ・アシュリーはエドワードグリーンのファクトリーを買収したジョンロブ・パリに日本からハーロゥのようなアンラインドローファーをというリクエストで誕生したいわくつきの型。なるほどハーロゥ譲りのフィット感は健在だ。
①誂えから:フルサドルその1

履き込んだローファーは踵に絶妙な隙間が出ている。「これじゃ踵が抜けないか?」と心配されるかもしれないが安心してほしい。最初はタイトフィットだったこの靴も履くことで足に沿って適度に伸び、今や吸い付くようなフィット感になっている。正に手袋のような履き心地という訳だ。誂え靴も最初から完璧なフィッティングではなく履き込むうちに足に馴染むという点では既成靴と共通点も多い。
Pants : Red Fleece
②フルサドルその2

靴は履いている本人が見る状態より離れた位置からどう見えるかもポイント。この靴を履いてクロケット&ジョーンズのジャーミンSt店に入った時、シニアマネジャーは一瞥するなり「クレバリーの靴ですね」と話しかけてきた。「良い靴は素敵なところに連れて行ってくれる」と言われるが「いい靴を履くと良い出会いがある」とも言えよう。お陰で意気投合、クロケットでは満足のいくMTOができた。
デザイン ★★★★★
フィット ★★★★★
外見 ★★★★★
③既成から:ハーフサドルその1

こちらは上のクレバリーとよく似たシルエットのアシュリー。何が凄いかって最初から踵のあたりに絶妙な隙間がある。つまり誂えのローファーに近いフィット感が新品の状態で味わえるのだ。アーチ部分の吸い付きは完璧で履き口の笑いはない。ペルティコーネの吉本清一氏の仮縫い時にこの靴を持って試着したところを見てもらったが「これだけのフィット感は一朝一夕にはできない」と話していた。
Pants : Red Fleece
④ハーフサドルその2

このアシュリーも既に廃版となって久しい。スクェアトゥにマッチしたエプロンにライトアングルモカやスキンステッチを施したデザインは手縫い工程の多さから同じスプリットトゥダービーのシャンボールド(ただし同じデザインでHARLYNと名を変えて一時期復活した)共々既に型落ちした。既成靴の課題は正にここで、誂え靴が手作業主体なのに対して既成靴は効率的な生産が重視される。
デザイン ★★★★★
フィット ★★★★★
外見 ★★★★
【結果】
このアシュリーを履いてジャーミンStのクロケット&ジョーンズ店を訪問してもシニアマネージャーと意気投合することはなかっただろう。アシュリーは既成靴としては最高のフィット感だがアーチ部分やウェスト部分などの絞り込みは誂え靴に敵わない。それでも僅差でビスポークに肉薄するアシュリーの実力は他の既成靴とは全く違う。もう一度ラインナップに加えて欲しい靴の筆頭だ。
⑤両者の比較

僅差で敗れたとはいえアシュリーのデザインはクレバリーの傑作ローファーとよく似た比率なのに驚く。つま先からサドル前端やタンの端までの長さ、つま先の幅、エプロンの大きさや乗せる位置など酷似している。ジョンロブが最適なパターンを求めてデザインの試行錯誤をしたことは想像に難くない。恐らく過去のビスポーク靴を含め蓄積された靴のデザインデータが参考になっているはずだ。
★第3試合 エキゾチックレザー対決★
最後の対戦はエキゾチックレザー対決。アリゲータ同様コードバンもエキゾチックレザーの一種と例えられる。誂えはタッセルスリッポンとサドルがない分ローファーより更にフィッティングがルーズになりがちなデザイン。対する既成はアメリカの誇るオールデンアンラインドペニー。こちらも上のアシュリー同様ブルックスブラザーズとの関係解消に伴い廃版となっている。
①誂えから:アリゲータータッセルその1

タッセルスリッポンのタンは長い。甲に吸い付いてホールドするのだろう。甲高の自分にはローファーより違和感がある。踵には快適なフィットを約束する隙間が既に見えている。ローファーより早く足に馴染んだのも納得だ。自分の場合踝外側に小骨が出ているので「履き口外側は低く」と注文のたびに依頼してきた。こうしたオーソペディックな課題解決にはビスポークサービスが欠かせない。
Pants : Rowing Blazers
②アリゲータータッセルその2

アッパーは踵で縫い合わせているだけで切り返しがどこにもない。つまりワンピースのアリゲーター素材を用いていることになる。ベビーアリゲーターの革が2枚必要で左右の色の差がない原革を選ぶ必要がある。なんとも贅沢な素材使いだが、J.M.ウェストンのローファーも左右対称になるようクロコダイルの革ストックを見比べて決めるそうだ。既成靴も素材選びに手抜きはないといえよう。
デザイン ★★★★★
フィット ★★★★
外見 ★★★★★
③既成から:コードバンペニーその1

限定生産の企画はホーウィン社のコードバン革の中からアンラインドに適した肉厚のシェルコードバンを確保することから始まったそうだ。普通は足入れしただけで履き皺が入りそうなものだがこれだけ肉厚だとそうはならない。色も現行の#8(バーガンディ)と違い自然な退色も進み何とも綺麗な色合いだ。履き心地は最高、カーフより肉厚で柔軟性がある分アンラインドには最適な素材だと思う。
Pants : Incotex
④コードバンペニーその2

オールデンの靴はよく言えば「大らか」、厳しい言い方をすれば「粗い」ともいえる。英国の精緻な靴作りとは真逆の仕上がりに驚くこともあるが独特の味わいは捨て難い。もしお気に入のりジーンズと合わせるならトリッカーズよりオールデンだろう。デニムにローファーというとJ.M.ウェストンが思い浮かぶが、実はこのアンラインドローファーとデニムの相性はそれを上回る存在感を発揮する。
デザイン ★★★★★
フィット ★★★★★
外見 ★★★★
【結果】
結果はまたしても引き分け。既成のアンラインドペニーはフィット感で誂えのタッセルを上回っているが、外見では既成のハンドモカを上回る誂えのロールステッチをはじめとした誂えの作りが光ったた。素材に関してはどちらもワンピース素材、贅沢な作りだ。
コードバンペニーの行方

今や手持ちのアンラインドペニーは左の限定品を除いて右のブルックスブラザーズ別注のみ。人は「ないと分かると欲しくなる」もの。同じモデルのブラックとバーガンディがあったのだがRoomStyleStoreで早々と完売してしまった。今履いているブルックス別注が寿命を終えたら…その時はローファー作りのうまいペルティコーネに頼もうかと密かに思っている。
誂え三銃士VS既成三銃士対決は誂えの1勝2分けという結果に終わったが、個人的には既成靴の健闘を称えたい。踝外側の小骨が靴の履き口に当たりやすい自分にとって「痛みを感じる既成靴」に出会うことはままある。特にオンラインで買った既成靴は試し履きしていないので外れに当たりやすい。その点誂え靴は最初から「痛みを感じさせない」作りなのだからアドバンテージは大きい。
だが、「自分の足に合う既成靴」に出会うことも少なくない。中には「誂え靴を凌ぐ」履き心地の既成靴もあるはず。ここで紹介したアンラインドの既成靴は正にそんな靴達だと思う。今回敢えて誂え靴と既成靴を比べてみた意図は「どちらが良い」という優劣ではなく実は「どちらにも良さがある」ということを一番伝えたかったのだ…ということがお判りいただけたら何より嬉しい。
Jun by RoomStaff