2024/07/29 13:59

World Championships of Shoemaking 2024での優勝から数か月が過ぎ見事優勝に輝いた菱沼乾さんの周辺は何かと騒がしいようだ。そんな中ご自身でアップされた最優秀賞の金メダルと靴作りに欠かせない先の曲がったAwl(オール:千枚通し)を贈られて喜ぶ姿をYouTubeで拝見した。努力が報われたことは我が事のように嬉しい。
以前から触れているが日本の靴職人の製靴技術は決して欧州に引けを取らないと思う。日本人がもつといわれる丁寧さや繊細さ、技術向上に対する探究心は革靴が西洋由来というハンデを越え、件のチャンピオンシップでも日本人職人の台頭に繋がっている。今年の菱沼さんの優勝が他の若き靴職人の挑戦に繋がることを期待したい。
そこで今回は世界一に輝いた靴職人菱沼乾さんの靴をもう少し詳しく見てみようと思う。
※扉写真は完成したノルベ靴
(1) 靴の全景

ベースラストより内振りな木型に修正して出来上がった靴。ジョンロブパリもクレバリーも初期の作品はよく似た雰囲気だったので自分の足型に合わせるとそうなるのだろう。今までつま先部分にスプリット(繋ぎ目)が入るタイプばかり注文してきたが今回は初の純粋なUチップということになる。
(2) ツリーと靴

ツリーはいつものヒンジツリー。ピタリとフィットして履き皺を伸ばしてくれそうだ。そういえば昔パリのセレクトショップオーナー、マークグイヨから「お気に入りの靴のシューツリーでセミビスポークの靴を作れるからディミトリゴメスにオーダ―してみないか…」と誘われたことがある。そんなことができるのかいつか試してみたい。
(3) 靴のサイドビュー①

靴を横から見た図。昔靴業界の人から「矢筈(やはず)仕上げ」というコバを薄く見せる技を聞いて1足作ったことを思い出す。履いてる本人ではなく傍からの見栄えを意識した仕上げだがこの「見栄え」が大事らしい…人は視覚で多くを判断するからだとか。菱沼さんも見栄えを考慮して階段状のヘビーなトリプルソールを上手く納めてくれた。
(4) サイドビュー②

この靴のハイライトはなんといっても3列のステッチ。糸の太さやピッチを変えてぐるりと360°縫っている。1周縫うだけでも大変そうだがそれを片足3周、両足で6周も破綻せずに仕上げる集中力に感服もの…と思ったら実は一番外側、茶色のコバにも出し縫いが施されていた。なんと左右合計8周も手縫いを駆使したことになる。
(5) アーチ部分

凝った底付けながらソールの厚さは7~8㎜。お陰で履き心地は想像以上にしなやかだ。因みにエドワードグリーンのドーバーやロブパリのシャンボードはウェスト部分で7㎜、つま先部分は11㎜もある。ウェストンのハントに至ってはつま先からウェストまで全て11㎜とタフさにかけてはヘビー級ものだ。
(6) スキンステッチ

内側にずらした踵の縫い目をウェストンのハントダービーと比較してみる。通常はハントのようにミシンによるシーム(縫い目)が入るがビスポークなら繋ぎ目が見えないスキンステッチで仕上げることも可能だ。しかもスムースレザーと違ってシボ(皺)革の場合、皺に隠れてつなぎ目が殆ど分からない。
(7) ソール

ソールは括れた部分(ウェスト)が角ばったスクエアウェスト。(1)でも述べたが内振りなラストの形状が良く分かる写真だ。黒の内羽根靴ならウェスト部分を黒く着色する半カラス仕上げもありだが外羽根の茶靴ならナチュラル仕上げで十分。つま先にはお約束のメタルトウチップを装着。これがあると靴が断然長持ちする。
(8) エプロン部分

エプロン部分の仕上げは「つまみモカ」あるいは「すくいモカ」と呼ばれる技法。一枚革を摘んでモカ部分を形作るやり方は別々のパーツを繋ぐ本来のモカシンとは違って正確には「モカ縫い」の仲間ではないとのこと。ビスポークだけあって菱沼さんが手掛けるMTOのU-Tipよりモカ縫いのピッチは細かい。
(9) 比較編①ロブロンドンと

さてここからは手持ちのノルベ靴との比較。まずは木型の参考にしたジョンロブロンドンのノルウェジアン。靴の全長や幅、つま先の形状はよく似ている。菱沼さんもスマートラウンドなベースラストに丸みを足している。こうして見るとロブロンドンのティームが手掛けたラストもバランスが良いなと改めて思う。
(10) 比較編②フォスター&サンと

次は履き口のデザインを参考にしたフォスター&サンとの比較。外側に出た掬い縫いのステッチワークも見本にしている。フォスターの底付けを手掛けたのはロンドンの注文靴界で名アウトワーカーの呼び声も高いジムマコーマック。名工でさえ久々のノルウェジアン製法ということで練習して臨むなど職人魂は万国共通だ。
(11) 比較編③サンクリスピンと

今度はルーマニアの名工房サンクリスピンにハワイのレザーソウルが別注をかけたモデルをマイ木型で注文したノルベ靴と比較。インカカーフは野生の猪革とよく似た色目なので縫い糸の色目を参考にしている。合わせモカのサンクリスピンとつまみモカのKhishとでは縫い方がや違うもののどちらも細かなピッチが目を引く。
(12) 比較編④ボノーラと

こちらは既成のノルベ。フィレンツェのボノーラで靴を誂えた時ついでに買ったプレーントウだ。既成だがつま先の先端のみミシンで出し縫いをかけた9.5分仕立てとのこと。クレバリーやロブロンドンでビスポークした時もこの靴を見本に持って行った。下手な説明よりも説得力があるせいかどれも満足のいく仕上がりだ。
(13) 比較編⑤ウエストンと

こちらも既成のハントダービー。小ぶりなエプロン(U字部分)を参考にすべく八ヶ岳の工房に持参しているほど。菱沼さんとはハントをサンプルの横に置いてあれこれ話し合った。その成果は写真を見れば一目瞭然、メジャーで測ることなくイメージを掴みこちらの希望どおりの面構えに仕上げてくれた。
(14) 比較編⑥ラッタンジと

更に既成のノルベが続き今度は同じつまみモカのラッタンジと比較。コバ周辺の参考に並べてみた。ラッタンジはステファノブランキーニと並んでコバ張り張りな樏(かんじき)靴タイプ。こちらは後年ジェントルになった頃のものだがそれでもコバはかなり目立つ。菱沼さんのノルべは階段状ながらラッタンジより控えめなのは流石。
(15) 比較編⑦ブーツと

ここからはブーツとの比較…まずはサンクリスピンのブーツから。(11)のセミスクエアな短靴のつま先をラウンドに削った木型で完成したのが写真のブーツ。菱沼さんが用意した最初の仮縫い靴がこれに近かった。「もう少し丸く」とお願いして出来上がったのが右の完成版になる。僅かな変化だが見た目は大きく違うと実感する。
(16) 比較編⑧ブーツと

手持ちのビスポーク靴で傑作ともいえるフォスター&サンのノルベブーツとの比較。外に見える掬い縫いや出し縫いの糸の太さを決める参考にしたブーツだ。ウェストンのハントダービーほど太くないが掬い縫いや出し縫いはもう少し「力強くてもいいのでは」と菱沼さんと現物を見ながら決めた経緯がある。
(17) ブーツと比較③

最後はクレバリー歴代30足の最後を飾ったノルベブーツとの比較。ハンガリーのアウトワーカーによる太い糸で3重に縫われたコバはハインリッヒディンケラッカーのツォプナートにも似た迫力。そこで掬い縫いはこのブーツを参照に残り2連の出し縫いは中⇒細へと太さを変えピッチも細かくすることにした。
(18) ノルベ揃い踏み

写真はインスタグラムにアップした写真。菱沼さん力作のノルベ完成に合わせてポストしたもの。インスタグラムのインサイトによればこの写真にリーチした数は14,000近く歴代第1位。最も多く閲覧された内訳はなんとフォロワー以外が92.3%。多くの人の琴線に触れたのだと思うと素直に嬉しい。
(19) ステッチの競演

こちらも(18)の写真と一緒にインスタに上げたもの。ビスポーク靴をオーダーし始めた頃はスマートな内羽根靴が多かったがノルベ靴に目覚めてからは少しずつ数が増え、既成靴も加わり短靴7足にブーツも加え10足の大所帯になっていた。綺麗に並べて写真を撮りながら「早く秋が来ないかな…」と思っている。
(20) ソックスとの相性

秋になったら…と待ちきれずにウールソックスを引っ張り出して合わせてみた。大好物のアーガイルはロイドフットウェア別注のパンセレラ製。左は短めのクルー、右はロングバージョンだ。色合いの妙は流石の英国製、国産のアーガイルも色々試してみたがやはり本場ものに一日の長がある。
因みに菱沼乾さんのブログには優勝した靴の製作過程に関わって様々なことに触れているので読み応えがある。例えば①踵に縫い目のない「シームレスヒール」が革に負担をかけることや②古来から甲冑に使われた伝統革である黒桟革(くろざんがわ)のくだり、③漆塗りのシューツリーを新潟県村上市の職人に依頼した話などとても興味深い。
一方でコンペの審査基準には「履き心地」や「フィッティング」は含まれず芸術性やアイデア、細かな意匠が評価されることを菱沼さん自身が踏まえた上で出品していること、日本の靴づくりの底力を伝えているところ、何より優勝は単なる通過点、履きものである靴は履く人の感覚が最優先されることを理解しているところに好感がもてる。
日々技術を磨く若手の靴職人にはぜひ菱沼さんに続いて世界一を目指してほしいと思う。
By Jun@Room Style Store