2024/12/08 09:35

生まれも育ちも東京、親戚も東京在が多かったせいか帰省したことがない。ただ北海道に叔父と叔母が居たのを幸いに両親が「子供のために」と思ったのだろうか、毎年夏休みは北海道に旅行した。高速道路がない時代に仙台から田老へ北上して青森まで自走したり翌年は上野駅から臨時急行で長旅をしたり…その頃の記憶は今も鮮明だ。
高校に入ると友人と16泊17日の期限いっぱい北海道を鉄道で回った。免許取得後バイクや車で回ったこともある。旅の途中立ち寄ると歓待してくれた叔父や叔母だったが亡くなると北海道に行く機会も減り、最後の訪問から12年が過ぎていた。ところが9月に突如「新幹線札幌開業の2030年に函館本線の山線が廃止」との報道がなされた。
実は国鉄時代も含めJR北海道管内では101駅が廃止、31路線が廃線となっている。周遊券で旅した頃と違い今や車がないと辿り着けない場所だらけになっていたのだ。しかも来春には新たに4駅廃止が決定したとか。せめて青春時代の思い出が詰まった地をもう一度訪れよう、そして記憶と記録に留めようと冬を前に北海道行きを計画した。
そこで今回から何回かに分けて北海道各地を回った様子を記録していこうと思う。
※扉写真は北海道行きの飛行機
(1) 第1ターミナル

早朝のリムジンバスで羽田空港へ。航空会社によって異なるが昨年ロンドン行きのJAL便に乗る時に間違えた第1ターミナルで下車。昔はANAを利用していたが2010年に経営破綻してからは応援を込めてJALに乗り続けている。それに親戚のいるアメリカのボストンに直行便が出ているので便利ということもある。
(2) 出発ロビーへ

搭乗するのは旭川行JAL551便。函館や千歳、稚内や釧路など北海道は各地に空港があるがレンタカーで回った後、鉄道で移動するなら旭川駅が便利だ。交通量の多い札幌よりスムーズな移動も期待できる。この日は定刻より20分遅れで出発予定…搭乗口までバスで移動するとのアナウンスあり。
(3) 搭乗機

バスに乗って搭乗機まで移動。機体はボーイング767だ。中型の双発機で中距離旅客機、座席配列は2-3-2となっている。流石に行楽シーズンを過ぎた11月中旬だから客も少ないか…と窓側の席に座って外を見ていると後続のバスが搭乗口に着いたらしい。一気に人が乗り込んで最終的にはほぼ満席となってしまった。
(4) 北海道の紅葉

離陸後は関東平野を北上。福島県の安達太良山上空を通過して苫小牧付近から北海道に入り間もなく旭川空港に到着とのアナウンスがあった。所要時間は1時間40分ほど、着陸前に北海道の風景を最新のiPhone16Proで撮影してみた。カメラ機能は以前の12Proから大きく進化していたらしくその出来栄えに驚いた。
(5) 旭川市内へ

旭川空港から駅までは再びリムジンバスに乗車。交通IC系は使えずカード決済か空港内でチケットを購入するかの二者択一だそうな。運転手さん曰く「羽田から到着したお客さんが乗り終えるまで暫く待つ」とのこと。暇なので一旦空港ビルまで戻ってチケットを購入、戻ると間もなく旭川駅に向かって出発した。
(6) 旭川駅到着

旭川駅に到着。この後車を借りて北海道を回ったら再び旭川駅から今度は列車で移動するので事前にチェックしておくと安心だ。借りたレンタカー会社は「JR北海道駅レンタカー」。駅に最も近くて便利だし料金も一番安い。不思議なのは軽自動車よりリッタークラスのコンパクトカーの方が安いというところ。
(7) 塩狩峠へ

旭川駅を出て最初に向かったのが塩狩峠。作家三浦綾子さんの小説の舞台になった場所だ。実は高校時代の鉄旅でここにあったユースホステルに泊まったことがある。温泉に入って疲れを癒した思い出の場所だ。一緒だった友人は早くに亡くなったが彼もここを再び訪れのだろうか…そんなことを考えた。
(8) 殉職の碑

小説「塩狩峠」は峠を連結器が外れ暴走し始めた列車を止めるべく自らの身を投じて乗客を救った…という実話を元に若き鉄道員の生涯を描いた長編小説と紹介されている。そのモデルとなった長野政雄さんの殉職碑が駅構内に建てられた。クリスチャンだった彼を偲び世界各国から訪れる人が後を絶たないそうだ。
(9) 記念館訪問

続いて殉職碑を見下ろす丘の上に経つ塩狩峠記念館を訪問。作家三浦綾子さんの旧宅を部分移築して開設されたもの。建物自体は旭川市内にあった店舗兼用住宅で1993年に解体された際保存を望む声に三浦綾子さんが同意、1999年に地元和寒町100年記念事業として塩狩峠で復元されたとある。
(10) 書斎

三浦綾子さんが実際に執筆した書斎を復元したもの。AIによれば三浦綾子さんの作品テーマはドラマ化された「氷点」が原罪、「塩狩峠」が犠牲、「母」がピエタ、「天北原野」が苦難…とキリスト教との関係性が深く、戸惑いや批判もあったがそれを承知で作品を書き続け多くの読者を得たそうだ。
(12) 窓から見える塩狩駅

塩狩峠記念館の窓から見える塩狩駅。列車交換のできる二面二線の駅は昔の面影がある。ポツンと立つ駅名板、その背後に広がる広大な風景は北海道ならでは。旭川方面は12時から16時までが空白、稚内方面は9時から12時までが空白という時刻表のせいか訪れた時間はひたすら静寂だけが支配していた。
(13) 塩狩ヒュッテYH

昔友人と泊まった塩狩ユースホステルは2006年に閉館したが場所を変えて2016年ここ塩狩駅前に「塩狩ヒュッテユースホステル」としてオープンしたようだ。生憎訪れた11月は休館中、12月も25日まで休館とのこと。空き室情報を見ると満室の日もある。昔の思い出が詰まった塩狩駅だけに場所は違えど健在なのは嬉しい。
(14) 塩狩駅

さてこちらが塩狩駅。左手には塩狩ヒュッテユースホステルが見える。1924年11月25日に開業しているので塩狩駅はことし開駅100周年を迎えることになる。残念ながら無人駅なので3つ先(稚内方面)の士別駅と4つ手前(旭川方面)の永山駅で記念入場券を1セット5枚入り1000円で発売しているそうだ。
【参考資料】

こちらが塩狩駅の待合室。両隣の駅からは塩狩峠に向かってどちらも上り勾配。友人と蒸気機関車を撮影しに来ていたので絶好の撮影地だったという訳だ。既に何十年も経って外壁が横板張りだった木造駅舎はパネルで補強されて昔の面影はない。有人だった駅も国鉄時代の末期に完全無人化されている。
(15) 列車交換

秘境駅に例えられる塩狩駅だが列車本数はそれなりに多く上りと下りの列車交換も見られる。カラフルな気動車は最新のものだ。昔は線路と線路の間にもう一本待避線があり貨物列車が通過待ちをすることもあったが既に撤去。ホーム上の電柱も昔は木製だったのに今はコンクリート製に替わっていた。
(16) 昔の塩狩駅

昔の塩狩駅。駅舎や塩狩ヒュッテユースホステルのある側から名寄行きの普通列車を撮ったものだ。ホームは殆ど変わっていないが駅名板は付け替えられており、ホーム上の木造待合室も撤去されていた。後ろに見える建物は駅員用の官舎だろうか…こちらも取り壊されたのか背後には丘が広がっていた。
(17) 蘭留駅へ

昔は写真撮影で一駅歩くことはざら、この時も塩狩駅から隣の蘭留(らんる)駅まで撮影しながら歩いたのだろう。写真のネガを見えると塩狩駅の次は蘭留駅になっていた。国道沿いを歩いたならば距離にして6.2㌖、1時間半で着いたはずだ。当時は北海道の人口が多く、ヒグマと街中で会うなんてことはなかったと思う。
(18) 昔の蘭留駅

こちらが塩狩駅の次の蘭留駅の様子。かなり立派な木造の駅舎にははしごや竹ぼうき、スコップなど有人駅ならではの備品が整然と置かれていた。屋根には煙突も突き出ていて冬は待合室にストーブが焚かれていたに違いない。どちらのホームにも乗客がいるので列車交換待ちの一コマだろうか。
(19) 蘭留駅の今

ところどころ補強されているとはいえホーム下の板張りは当時と変わらず。屋根付きの待ち合い場は撤去され電柱はコンクリート製に取り換えられていた。遠くには線路を跨ぐ道路が見えるが昔の白黒写真には写っていない。そうこうするうちに名寄行普通列車が来るので写真に見えるホームに移動して待つことにした。
(20) 名寄行きを見送る

蘭留駅から今まで居た塩狩駅に向かう列車。塩狩峠に向かって上り勾配が続く様子が分かるだろう。旭川から名寄の間はJR貨物が事業者として免許を維持しているので貨物列車運行の可能性はあるが実際は名寄駅のコンテナも含めトラック輸送となっている。旅客だけでこの路線を維持するのは大変なようだ。
(21) 今宵の宿

蘭留駅を出て無料の高速道路を走りながら旭川を通り過ぎて一路層雲峡へ。北海道の人気温泉地ランキング7位だけに宿泊施設が充実している。塩狩温泉に入れなかったこともあり、わざわざ層雲峡まで来た甲斐あってか一人旅だがツインの部屋に入れた。ダブルベッドでゆったりとも思うが実際はシングルで十分だ。
(22) 層雲峡

谷に位置する層雲峡は断崖絶壁や渓谷美が見どころ。ただ昔に比べて寂れた感じは否めない。湯量は今も豊富で源泉かけ流しと宿の案内にある。到着後と寝る前、翌朝と3回も入ってしまった。写真は朝日を浴びる層雲峡だ。単純硫黄泉の効能は「疲労回復」で湯冷めもしにくいらしい。元気を貰って次の目的地へと車を走らせた。
街を車で通り過ぎると廃屋やシャッターを閉じた商店ばかりなのに気付く。スマホで検索した食堂を訪ねても廃業したり昼の営業を早々と終えていたり…他の地域にも増して北海道の衰退を感じた。少子高齢化に加え札幌圏や首都圏への人口流出が進んだ結果駅が次々と廃止されたようだ。「食堂を開けようにも材料の仕入れに事欠く上に店を開けても客が来ない」となれば店を畳むのも仕方ないこと。
集落が生まれてコミュニティが形成される内は安泰、だが農業や酪農のようにすぐさま転居できない場合を除いて誰かがより快適な場所へ転出し始めると一気に人が去っていく。途中人の気配がある一軒家を車から見かけたが多分農家や酪農家だろう。鉄道はとうの昔に廃止され、鳴り物入りでスタートした代行バスさえ今は走らず。高齢化や後継者不足もあってか耕作を放棄した農地もちらほら見える。
それでも耕作放棄地の割合は都府県より少ないという。何より北海道の農地は日本全体の四割、食料自給率向上に欠かせない供給基地だそうな。ところが北海道庁主体の協議会が「攻めの廃線」を進めた結果、北海道の交通崩壊と物流危機は深刻な状況にある。この夏、石勝線が豪雨被害で通行止めになった際は代行バスもなくジャガイモの収穫期にもかかわらずトラック代行も満足ではなかったようだ。
北海道を車で走りながら「北海道の問題は日本の問題でもある…」ことをひしひしと感じた旅の始まりだった。
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