北の大地へ(遠軽編) | Room Style Store

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2024/12/29 06:30


十二年ぶりの北海道旅行は飛行機で旭川まで一気に移動、レンタカーを借りて回る今時のスタイル。友人と二人で北海道を一周した時とは大違いだ。当時は寝台列車など高根の花。周遊券で乗れる最も早い急行列車の自由席だけが頼りだった。L字型の椅子が向かい合うボックス席は当然リクライニングなし。上野を出て十時間、青森に着く頃は体中が痛くなっていた。

青森駅で降りたらホーム先まで歩いて青函連絡船待合室へ移動。乗船カードと周遊券を手に並ぶと間もなく乗船開始だ。真っ先に向かったのは雑魚寝席。広々としたカーペット敷きのスペースに備え付けの枕を置いて取り敢えず寝る。そうしないと他の乗客に侵略されてしまう(笑)からだ。体を思い切り伸ばせた嬉しさにいつの間にか熟睡するうち船は函館に着いていた。

ところが函館に着いてからどこをどう回ったのか記憶がすっかり飛んだままになっている。しかも16泊17日という長旅を一緒に過ごした友は既に鬼籍入り。今度の旅は友との思い出や写真を元に旅行中の記憶をできるだけ手繰り寄せようと計画したもの。前回は塩狩YHがキーワードだったが今回は友人と一緒に知己を得た国鉄マンとの出会いを回顧すべく遠軽へと向かった。

※写真は51年ぶりで訪れた遠軽駅

(1) 身支度
層雲峡で泊まった翌日のアウトフィット。いつものRRLデニムにショットのシャンブレーシャツとカシミアのプルオーバー。ショールカラーはマフラー要らずで暖かい。ファー付きN-3Bタイプのダウンジャケットは車を運転する時以外の必需品。東京ならオーバースペックだろうが小雪の舞う北海道では威力を発揮する。

(2) 足元
一方足元は雪を想定してコマンドソールのブーツを…とも思ったが履き慣れたレッドウイングを旅のお供とした。ソールもだいぶ減ってきているので今回の旅行が終わったらそろそろリソールした方がいいかもしれない。ミッドソールを残してアウトソールだけにするか全交換するか迷うところだ。

(3) 遠軽駅到着
予定していた自動車道の入り口で「降雪のため通行止」の看板を手にした職員に遭遇。他の道を尋ねたら「国道で北見峠を越えて遠軽に向かってください」とのこと。「雪ですので気を付けて」と言われドキッとする。除雪済みとはいえ信州での雪道経験がなかったら迂回しただろう。写真は無事到着した遠軽駅。

(4) 構内から臨む駅舎
石狩と北見を結ぶ動脈の石北本線。かつてはここ遠軽駅を起点に流氷で有名な紋別を経由して名寄へ向かう名寄本線の乗換駅として賑わっていたが今から35年前の1989年に路線は廃止されている。当時は遠軽機関区があって700名もの職員が働く鉄道の町として賑わったそうだ。今は駅舎だけが往時を偲ばせる。

(5) のりば案内
当時を物語る「のりば案内」板。一番上に紋別・名寄方面は1番線(又は0番線)の文字が見える。二度と光ることのないこの案内表示こそかつて名寄本線が出発していた名残り…写真の右端に見えるホームが1番線(左)と0番線(右)だ。この遠軽駅はスイッチバック式なので今は旭川から来た列車も網走から来た列車も1番線に停車する。

(6) かつての駅そば店
遠軽駅名物「北一そば」が開業したのは1941年、毎日店に立った店主の勝本一子さんが亡くなられた2019年、後継者がおらず閉店したそうだ。最近市内の飲食店経営者がクラウドファンディングを募ったが6月30日に目標金額の55%で募集を終了していた。11月の時点で店は再開されていないが復活を期待したいところだ。

(7) 今昔物語①
駅構内に目を向けると広い敷地の中はがらんどう状態。貨物専用線や機関区の設備が所狭しと並んでいたのが嘘のように木々や草が生い茂っている。錆びた転車台だけがぽつんと残っているのでそれを手掛かりに51年前の写真と並べてみた。かつて機関庫のあった部分を自然が飲み込んでいる様子が分かると思う。

(8) 今昔物語②
こちらは町のシンボル瞰望岩(がんぼういわ)を手掛かりに51年前の写真と並べてみたところ。当時も今も岩の上には天文台が見える。大きな日傘が目印の展望台も健在だ。だが忙しく行き交う機関車も貨車もなくなり撤去された線路跡には芝生が広がっている。官舎のあった場所は住宅が建ち並んでいた。

(9) 今昔物語③
今は唯一稼働しているであろう1番線を2番線から見た写真。51年前には1番線のホーム先に貨物駅があり、そこで貨物の揚げ降ろしを行ったり貨車を入れ替えていた。蒸気機関車が貨車を牽く様子も写っている。今回の写真(下)では貨物ホームが消え、線路も撤去され一番線から延びる線路だけが今も使われている。

(10) 時刻表
入場券で遠軽駅に入ったのが10時。10:29発特急オホーツク1号と11:41発快速きたみの見送りが出来そうだ。5時と15時に列車はなく21時22分白滝駅発が到着すると最終とかなり寂しい。各駅停車は上下3本ずつ、旭川行の各駅停車は一日1本のみだ。特急や快速の停まらない沿線住民が車に乗らず旭川へ行くのは至難だろう。

(11) オホーツク1号入線
そろそろ札幌発の特急オホーツクの入線だ。右側からやってきてポイントを2度乗り越え一番左の1番線を目指す。昔は4両編成だったが今は3両編成でグリーン車はなく指定席と自由席のみとのこと。来年3月のダイヤ改正後も札幌発の特急オホーツクは残るが旭川発の特急大雪は快速に格下げされると発表があった。

(12) 遠軽駅停車
JR北海道が導入した261系。高速で曲線を通過できる振り子機能を備えていたが線路に与える影響や安全性重視のためスピードダウンした結果肝心の振り子機能を封印している。つい最近起きた函館本線の貨物列車脱線事故や大雪で列車が立ち往生したことでJR北海道の課題が明らかになってきたようだ。

(13) オホーツク1号出発
右手から進入してポイントを2回渡り1番線に入ってきたオホーツク1号が今度は1番線を発車してポイントを1度だけ渡り左端の線路を通って網走に向かう。これがスイッチバック駅での列車の動きだ。遠軽駅は名寄本線の駅として先に開業、そこに石北本線が旭川から延びて合流したためこのような線路配置図となったとある。

(14) 快速きたみを見送り
こちらはオホーツク1号の後に発車する快速きたみ1号。オホーツクと反対に左から来てホームで客を乗せ右へと去っていく。ホームの後ろに見える立派な建物は遠軽町芸術文化交流プラザ。コンサートや催し物など様々な企画を用意している。地域の活性化が進み道外からの移住が増えることを期待したい。

(15) 駅弁販売店跡
かつて2番線と3番線があったホームに残る小さな小屋は名物駅弁「かにめし」を売っていた売店の名残りだ。名寄本線廃止後も2015年と最近まで駅弁製造を続けていた「岡村べんとう屋」さん。特急オホーツク車内で客室乗務員を通じた予約販売が9割を占めていた関係で客室乗務員の廃止に合わせて廃業となったそうだ。

(16) かつての名物駅弁
こちらが元祖遠軽駅の「かにめし」。個人的には長万部駅の「かにめし」の方がポピュラーと思っていただけに買わずじまいだったことを後悔している。何しろ北海道では昔当たり前だったものがどんどんなくなっている。もちろん長万部のかにめしも例外ではない。駅で駅弁を買うこと自体今の時代では難しいのだろう。

(17) 復刻版
惜しまれつつ廃業した岡村べんとう屋の「かにめし」を受け継いだ遠軽駅前の「ホテルサンシャイン」がレストランで復刻提供しているというので立ち寄った。駅弁のシンプルなスタイルと違ってお重で出てくる。その名もかにめし御膳、刺身や小鉢にお吸い物やデザートまで付いた立派なランチだ。

(18) かにめし
こちらが肝心のかにめし部分。(16)の元祖遠軽駅かにめしと比べると錦糸卵だったりかにの量がゴージャス過ぎたりと違いはあるが遠軽の駅弁も大切な文化遺産。復刻したことに意義があると思う。予約すれば当時と同じ弁当容器に入れて提供してくれるそうだ。ただし持ち帰りはできず店内で食べるらしい。

(19) 上興部をめざす
写真は遠軽から車で1時間半の名寄本線は上興部駅の跡地。隣の「一の橋駅」との間に天北峠がある関係でここには峠越えのシェルパ(補機)が常駐していた。件の友人と二人で機関車を撮影していると機関士が「どこで写真を撮るの?」と聞くので「まだ決めてません」と答えると「良い場所があるけど上興部から遠いので隣(一の橋駅)まで(汽車)で送ってあげる。」と夢のような申し出があった。

(20) 昔の上興部駅
こちらが一の橋駅まで送って貰った機関車。ステップを伝ってキャブ(運転台)に入ると機関士と軌間助士に我々二人の4人も居る。運転の邪魔をしないよう注意しながら単機で上興部駅を出発。一の橋駅まで至福の時間を過ごした。途中機関士のKさんが「ここが撮影ポイント」と教えてくれたのも大助かりだった。

【参考資料】
撮影した写真
こちらが一の橋駅で降りて撮影場所まで歩き撮影した写真。先頭の69620の次に連結されているのが乗せて貰った49651だ。機関士Kさんの姿もチラリと写っている。予め聞いた住所にお礼の東京菓子と4つ切りパネルにした写真を郵便で送った。それ以来年賀状のやり取りがあったが随分前に国鉄を退職したはずだ。

(21) 名寄に到着
上興部で友人と奇跡のような体験をしたことを思い出しながら車を飛ばして名寄に移動。夕闇が迫る前に本日の行程を終えた。こちらも51年ぶりで訪れた名寄駅。かつては宗谷本線(現存)と名寄本線(廃止)、それに深名線(廃止)と3路線が乗り入れていたターミナルらしく駅舎は立派だが駅前は静けさが支配していた。

(22) 夕暮れ時の跨線橋
入場券を買って構内を見学。撮影している2番と3番乗り場は上屋(ホーム上の屋根)が撤去されていた。尤も長い屋根が必要な長編成の列車が来ないのだから無用の長物かもしれない。各駅停車は1両かせいぜい2両編成、跨線橋の近くに停まるようだ。遠くに左へ分岐する線路の一部が見える。廃線となった深名線(深川~名寄)の名残りだ。

(23) 冬支度
この日は雪の北見峠越えに始まり晴れたり雪だったりと目まぐるしく変わる天気の一日だった。名寄は既に冬支度の真っ最中、かつての名寄機関区跡に残る側線には前後にラッセル装置を付けたディーゼル機関車がエンジンをかけて念入りな動作チェックを行っていた。冬将軍の到来も間近だ。

今回の旅は塩狩をスタートして遠軽経由で名寄まで来たが車の中で忘れかけていた記憶が少しずつ蘇ってきた。多分友人と一緒だった51年前は遠軽が先で名寄経由で塩狩と逆方向に進んだのだと思う。途中遠軽駅で撮影した写真、上興部の駅で乗せて貰った49651機関車の思い出や機関士の名前、名寄駅構内のスナップ写真など点と点が結ばれて線になってきた。

何しろ二人とも周遊券で旅しているので同じ場所を往来しているとはいえ線は途切れず北海道を回り続けたはず。そして最後は上野に辿り着いたという事実がある。そういえば稚内行きの夜行急行「利尻」で知り合った北大生の家に厄介になり朝食をご馳走になったこと、最北端の岬まで連れて行ってもらったこと、撮影地まで送ってくれたことも思い出した。

次なる目的地はどうやら稚内のようだ。

By Jun@Room Style Store