2025/02/10 05:38

高校一年の夏、共に北海道を旅した友人との思い出を辿って稚内に到達。当時はそのまま東京へ戻ったが今回はもう少し旅を続けようと思う。何しろ当時4,000㎞あった路線は50年で2,500㎞に縮小、将来「さらに半減する可能性」も指摘されている。今しか出会えない鉄道風景を記憶と記録に留めておきたい。
中でも新幹線の札幌開業に伴う並行在来線のうち函館本線長万部~小樽間の廃止決定が与えた衝撃は大きい。このところ鉄道ファンが押し寄せ乗車率が一気に増加していると聞く。一時は財源拠出が見通せず廃止を受け入れた沿線自治体も観光資源として残すべきという声が上がるなど先行きは不透明なようだ。
ともあれ今日の宿は大雪山系の美瑛。距離はおよそ250㎞だが寄り道するので到着は日暮れか。
※扉写真はお世話になった川島旅館
(1) 豊富温泉出発

早朝のとよとみ温泉街の看板。一帯は酪農が盛んで「豊富牛乳」が有名とのこと。宿の朝食でもしっかりメニューに入っていた。年間30万人の観光客が訪れると聞いてびっくり、サロベツ原野とここ豊富温泉が二大看板らしい。ふるさと納税の返礼品にクロテッドクリームもある。一度スコーンで試してみたい。
(2) 下沼駅

宿を出発して豊富駅の隣にある下沼駅に到着。貨物列車の最後に連結された車掌車を待合室にしたダルマ駅を間近で撮影。JRに移管後それまでの木造駅舎を取り壊してダルマ駅にしたことで鉄道ファンに嫌われていたのに今や絶滅危惧種として人気らしい。ダルマ駅ツアーなんていうのもあるそうだ。
(3) 写真撮影

実は宗谷本線でもダルマ駅が少しずつ廃止されている。ぜひ現役時の姿を残そうと駅名に駅舎と出発する列車を一枚の写真にしてみた。モータードライブならではの写真だ。駅名のとおり沼の淵にある下沼駅はその「ぬま」と「ひぐま」を合体させたご当地キャラクター「ぬまひきょん」で知られている。
(4) 列車を見送る

稚内を目指す各駅停車を撮影。車体番号は529、昨日の502とは別の車両だ。線路の不自然なカーブは昔この駅が列車交換できる施設を備えていた証拠。カーブの根元部分で右側に線路が枝分かれして対面式のホームが向かい側にあったようだ。目を凝らしたが雑草に埋もれて痕跡すら見当たらず。
(5) 幌延駅到着

続いて訪れたのが幌延駅。宗谷本線では数少ない有人駅でみどりの窓口も設置されている。昔はここから留萌本線の留萌まで羽幌線が通っていたが廃止、接続先の留萌も留萌本線が廃止されている。今や北海道の日本海側は鉄路の空白地帯。幌延駅も接続駅としての役割は既に終了して久しい。
(6) 列車交換

入場券を買って構内に入ると駅員さんが「特急宗谷が遅れているので四十分ほど列車の待ち合わせをします」とのこと。ほどなく普通列車が入線。車番は502、昨日出会った車両が今日も奮闘していた。乗客は長い停車時間を利用してストレッチしたり駅の写真を撮ったりと思い思いの時間を過ごしている。
(7) 遅れて来た特急

やがて「特急が間も無く入線します」との放送が入り、慌てて跨線橋へ向かう。窓を開けてカメラを向けると旭川方面から来た特急が遠くに見えた。耳を澄ますとレールの継ぎ目(ジョイント)を通るカタンコトンという音が微かに聞こえて来る。いつのまにか特急の入線するホームには乗客が到着を待っていた。
(8) 交換風景

特急宗谷と普通列車の交換風景。特急宗谷のSE-202編成はキハ261系、振り子機能を持つ車両だが高速走行で線路への負担が増大するため現在は速度を落として運転している。当然振り子機能も使用中止という訳だ。右側の広々とした敷地は羽幌線があった頃の引込線や留置線が並んでいたのだろう。
(9) 雄信内駅

幌延駅を出て次に向かったのは抜海駅と同じく2025年の3月で廃止となる雄信内駅。1953年に建てられた国鉄形の木造駅舎が残る希少な駅だ。とはいえご覧の様に駅前は舗装すらされていない。トイレも使用禁止となっている。あたりには廃屋が見られ駅付近は全く人が住んでいない。
(10) ホーム

駅の奥は原生林が広がり人を寄せ付けない雰囲気が漂っている。利用客が殆どいないのに列車の交換設備があるのは除雪に使用するラッセル車のためだとか。2016年から2022年まで利用状況は0人/日が続いていたが2023年に0.2人/日と微増している。恐らく訪れる鉄道ファンの増加だろう。
(11) 名寄行き

先ほど幌延駅で見送ったキハ54の502とまたまた遭遇、前日にも糠南駅や抜海駅で見た旭川所属の気動車だ。この日は珍しく一人のご婦人が雄信内駅に降り立った。迎えに来た方と再会を喜ぶ様子は駅ならでは。1925年7月20日に開業した雄信内駅だが今年100周年を迎える前に廃駅となる。
(12) 最後の冬

初めて読んだ時は「おしんない?」と間違えたが「おのっぷない」とは中々読めない。最後の冬を迎える前の姿だ。廃止後は駅舎も取り壊される予定と聞く。最近はゴーストタウンの秘境駅と紹介されることもあり幌延町公認の観光スポットだとか。鉄道に乗って来るファンもいる。廃止前にぜひ来たかった場所だ。
(13) 音威子府駅①

三駅目は音威子府駅。ここは「常盤軒」が提供する音威子府そばが有名だった。戦前から営業を続け鉄道ファンや駅そばファンに人気だったという。2021年に店主が亡くなり閉店、そばを提供していた畠山製麺も2022年に廃業すると「音威子府そば」自体が幻となったが最近東京で復活したらしい。
(14) 音威子府駅②

入場券を買って中に入ると立派なホームが目に付く。かつて天北線が走っていた頃は接続駅として賑わったのだろう。後ろに見える鉄骨に板張りの立派な跨線橋はこの駅の名物。車両と絡めて写真を撮りに来る鉄道ファンも多い。サッシの窓を開けて見渡す景色は雄大、遥か遠くまで続く鉄路は実に北海道らしい。
(15) 音威子府駅③

名寄行き普通列車は左の1番線から出発する。駅の待合室では学生が教科書を見ながら列車を待っていた。それにしても1番線ホームの短いことよ。尤も普通列車は短い(一両)ので十分なのだろうが。立っている2番線は特急が停車するらしい。右側の3番線が廃止された天北線のホームだった場所。
(16) 待合室①

待合室の一角にある鉄道資料館を見学。懐かしの急行利尻や礼文のサボ、錆び付いた駅名板は敏音知(ぴんねしり)と読める。天北線の難読駅として現役時代は話題になったこともある。手前右端の丸や長円、三角や四角に型抜きされた円盤はタブレット(通票)。列車の通行手形のようなものだ。
(17) 天北線の思い出

廃止された天北線は南樺太への連絡鉄道として一足早く1922年に稚内まで全通していた。今も残る宗谷本線は4年後の1926年に天塩線として全通している。天北線は先輩なのに早々と引退させられたようなものだ。路線図を見ると大きく浜頓別を迂回していた。国策として開拓の使命を負っていたのだろう。
(18) 列車を待つ学生

ようやく名寄行きの各駅停車が入線。学生さんに旅行客と乗務員の3名が列車を待っていた。地元の音威子府は北海道で一番小さくて最も人口の少ない村として有名だが実は全国で唯一、村立美術工芸高校を有するなどものづくりを通じた人づくりを実践している。村外から学生が集い全員が寮生活とのことだ。
(19) 音威子府を後に

音威子府を出発した列車を跨線橋から見送る。ターミナル駅だったこともあり構内の敷地は広い。長い歩道橋が駅を跨ぐように設置されている。山の左手斜面に広がるスキー場は村営の音威富士スキー場。ネットで調べると月曜は定休日、土曜日は朝からナイターまでやっているようだ。
(20) 美瑛へ

音威子府を後に後はひたすら美瑛に向かって車を走らせた。出発地の旭川を迂回して日暮前になんとか辿り着いてチェックイン。一帯は大雪山国立公園。観光スポットも多くホテルはアジア系、中でも中国人観光客と韓国人観光客で賑わっていた。まずは温泉で疲れを癒して早めに夕食会場へと向かう。
(21) スイーツ気分

食事はバイキング形式、目の前で調理してくれるのが嬉しい。周りは家族連れやカップル、一人で食べているのは自分だけかな…と思いつつも堪能した。運転疲れだろうか、脳が甘いものとカフェインを欲している。食後に道産の牛乳ソフトでミニパフェを自作、コーヒーと一緒にデザートタイムを満喫した。
実は冒頭で述べた新館線札幌延伸に伴う函館本線の廃止について昨年末に重大な発表があった。JR北海道によると羊蹄山の麓を貫く羊蹄トンネル工事の遅れなどが影響して当初の2030年開業を大幅に延期し2038年度を軸に調整中らしい。倶知安町は早期のバス転換を主張していたが地元バス会社はドライバー不足を理由に受入を拒否しているようだ。
昨年2月に毎日新聞は〜バス運転手不足で公共交通崩壊の危機「鉄路からの転換が裏目に」〜の見出しで夕張市の現状を伝えていた。旗振り役は当時の夕張市長、今は北海道知事だが再び「鉄路からの転換」を押し進めようとしており住民からは夕張市と同じ轍を踏むのではと危惧する声も出ている。確かに初めに廃止ありきの方針には違和感を覚える。
何より2030年から2038年開業へと延期されたことで函館本線山線の沿線自治体も充分再考する時間が確保されたことになる。輸送密度は前年度比1.2倍、売上は1.3倍と回復基調を示しており、AIも白紙撤回の可能性を言及していた。明日は旭川から札幌経由で小樽泊まり…東京に戻る前にせっかくなので最終日は函館本線の山線に乗ってみようと思う。
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