ミラノの靴屋 | Room Style Store

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2025/02/25 08:31


2000年の夏、一足早くミレニアムを迎えた英国を後にミラノ駅に着いた。1988年にサンモリッツからポストバスでマローヤ峠を越えミラノ入りして以来12年ぶりの再訪だ。街角は至る所に欧州旗が掲げられ、来るミレニアムとその一年後に始まる単一通貨ユーロの導入を控えて祝賀ムードだった。

目的は一つ、ファッションやデザインの中心にして金融都市でもあるミラノでクラシックな靴を顧客に提供する誂え靴屋MESSINA(以下メッシーナと記す)で注文する事だ。当主のガエタノ•メッシーナは英語を話さないのでローマ在住の親戚にアポ取りを依頼、当日は待ち合わせて工房へと向かった。

あれから四半世紀、誂えた靴は革底が擦り減ったりコバに傷が付いたり深い皺も寄ったりしているが今も健在…ところが悲しいかな店は既に現存してない。そこで今回は55年間という短い間にミラノの貴族をはじめ世のウェルドレッサー達をも唸らせた誂え靴屋メッシーナの軌跡を綴ってみようと思う。

※扉写真はメッシーナを紹介した本とその靴

(1) 海外旅行のバイブル
1996年発刊のSTYLE AND THE MANは靴や服を誂えに海外旅行に出かける前に読むべき必読書だった。前半は着こなしが中心だが後半のWhere to shopは筆者のアランフラッサーがB(ボストン)から始まりV(ヴィエナ=ウィーン)まで世界17都市を実際にショッピングした経験が書かれている。

(2) メッシーナについて①
ミラノの章でアランフラッサーはメッシーナについて以下のように記している。…色褪せたアンテロープカラーのキャップトウが「飾り気はないが本物である」ことを物語っている。元ボクサーでシチリアの靴職人の息子であるガエタノ・メッシーナはイタリアの貴族のために靴を特注で作る最後の世代の一人である。しかしここで21年経った今でも彼の店はまだあまり知られておらずイタリア国外の顧客はほんの一握りしかいない。小さな店内には靴や革が雑然と置かれている。ここのハウススタイルはつま先が四角くとてもミラノ風でエレガント、1950年代にロンドンの伝説的な靴屋トゥーセックで魔法(のような靴)を生み出したイギリスの匠ジョージクレバリーの誂え靴に似ている…

(3) メッシーナについて②
添付された写真は肝心の靴がシューバッグに隠れて見えないが更にこう続けている。…小柄なマエストロは英語を話さないので母国語が流暢な誰かを連れていくことをお勧めする。全ては店内で作られている。顧客の木型を作るのに8ヶ月、その後靴を作るのに1ヶ月を要する。靴をもう1足追加すると季節にもよるが約1ヶ月で完成する。1足作るのにもう一人の職人と二人がかりで45時間かかるが、値段は1足1300$(当時)とリーズナブルな価格だ…以下略

(4) かつての店舗
写真はかつての店舗の最新ストリートビュー(Google)。ドアの奥に6畳ほどの店舗があり奥には更に4畳ほどの工房があった。一度中を見学したが革のパーツを縫い合わせるクロージングは外注していたようだ。芸術と文化の中心地であるブレラ地区から程近くそれでいて下町情緒のある静かな通りに面していた。

(5) ガエタノ親子と工房
当時の店内を語る貴重な写真。何しろ限られた顧客しかいなかったようでネットを検索しても当時の様子は全くヒットしない。僅かな写真を元に記憶を辿ってみた。ワインレッドの絨毯や調度品で統一された店を切り盛りしていたのは三人、写真のガエタノ親方と息子のジュゼッペさんに親方の奥様だった。

(6) 最初の靴
最初の1足は店内の見本靴をそのまま注文。如何にもイタリア風のノルウィージャンスプリットトウだ。畝の太いモカ縫いは男らしい靴を好むガエタノ親方のこだわりだろうか…。革はフランス鞣しのグレインカーフ。履いていったジョンロブ既成のシャンボードを木型作りのために片足だけ置いて帰った。

(7) ノルウィージャンウェルト
ミラノまで通訳付きで来たからには他とは違う個性的な靴が欲しい…変な欲が湧いてきたのかわざわざ手間のかかるノルウィージャンをオーダーした。それでもアップチャージはなかったと思う。ただ当時はユーロ導入前、リラで払ったのは覚えているが桁が大きかったせいもあって思い出せない。

(8) アルカンドとの比較①
同じ頃ミラノでひっそりと廃業した靴屋アルカンドのサンプルシューズをミラノ在住の駐在員から手に入れたので比較してみた。上がアルカンドで下がメッシーナ、外羽根部分のデザインは異なるがコバに入るギザギザ模様(ウィールで付けた跡)や内側にずらした踵のシームなど似ている部分も多い。

(9) アルカンドとの比較②
つま先にモカ縫いの入らないUチップスタイルのアルカンド(左)とメッシーナ(右)を上から見た図。アルカンドはサンプル靴だけあってつま先がスマートだがイタリアのスクエアトウは「アヒルの嘴」のような幅広が特徴。現ジョンロブの職人ティームレッパネンが「ソフトスクェアでタックゼックスタイル」と例えるシェイプだ。

(10) モカ縫い
太い畝とは裏腹にモカ縫いのステッチは細かい。一目で手縫いと分かる独特の雰囲気がある。日本の靴職人なら寸分狂わぬ精緻なステッチで仕上げることも可能だろうがスピーゴラの鈴木幸次氏いわく「それならミシン縫いと変わらないじゃないか…」と敢えて「手縫いらしく見せる」のがイタリアの靴職人と聞いたことがある。

(11) 2足目の靴
1足目の靴を受け取りにクリスマス後のミラノを再訪、珍しく雪が降ったようで街の通りには雪が残っている。2足目は別の顧客が注文した完成品のフルブローグを参考にオーダーした。ロンドンのクレバリーではOKだったトウデザイン(パーフォレーション)の変更もガエタノ親方は一瞬で却下、「つま先の穴飾りはこれだ」と譲らなかった。

(12) スクエアウェスト
黒靴のサンプルを見本にベヴェルドウェストをリクエストしたがこれまたガエタノ親方は否定。「エレガントな黒い靴ならばベヴェルドウェストで仕上げるが茶色の靴はスクェアウェストで仕上げるものだ…」とのこと。ミラノの誂え靴屋の不文律なのか親方のこだわりなのかそこには強い意志が感じられた。

(13) GATTO との共通点
実はメッシーナの靴はローマのガットとは作風がとても似ている。具体的には①レースステイ脇の穴飾りが小穴のみで裾広がりになるところ(赤丸)や②緩やかなピークのウィング中央(緑丸)、さらに前後のブローギングがヒール前端でピタリと重なるところ(黄丸)など…そこには理由がある。※ガットの写真はシューホリックさんのHPからお借りした。

(14) フラットトウ
ガエタノ親方は7歳で靴作りを始めたが17歳で故郷カターニヤを離れボクサーを目指したそうだ。21歳で見切りをつけるとミラノの名店ダガタで靴作りの修業を開始。そこのダガタ親方がローマの名店GATTO(ガット)の故ガエタノガット氏の義理の兄弟だったことからメッシーナの靴にはガットのDNAが受け継がれていたのだ。写真のフラットトウもガットとの共通点だ。

(15) ライニングの処理
ライニングのパーツを手縫いで繋げるのもメッシーナの特徴。足に触れる部分だけにフラットに仕上げる工夫が窺える。この一手間でアッパーに沿った立体的なライニング作りが可能なのだろう。日本で唯一ガットやメッシーナで仕事をした古幡雅仁さんがこの技法を受け継いでいる。古幡さんとはイタリアへ渡る前から情報交換をさせてもらっている。

(16) マイラストと完成した靴
数少ない店内の写真から2足目の納品時に写したものを掲載してみた。隣が親方の削ったマイラストになる。当時のデジカメでは画素数が低く鮮明な画像とは言えないが完成した靴の見事なシェイプが分かると思う。日本人の顧客がいたのかは定かではないがアランフラッサーの忠告にもあるように通訳なしでの初注文はハードルが高かったろう。

(17) 3足目の靴
3足目はベヴェルドウェストの靴が欲しかったこともあり黒のセミブローグ、それもアデレードタイプを注文した。革はジャーマンカーフと言っていたので恐らくカールフロイデンベルグだろう。この時は通訳なしで訪問したが近所のバールで英語を話す店主に通訳して貰った。顔見知りになればイタリア語が話せなくとも何とかなると分かった。

(18) 黒靴仕様
こちらがイタリアのノーブルな人たちが履く黒靴。ベヴェルドウェストになっている部分はコバを極力薄く見せるよう手間暇をかけているのが見ただけで分かるだろう。ロンドンのクレバリーやフォスター&サン、ロンドンとパリの両ジョンロブを見てもこれほど美しい仕上がりではない。

(19) 被せタイプのアデレード
イタリア靴には珍しいアデレード。紳士靴のルーツは英国にありということでロンドンのクレバリーと比べてみた。クレバリーは見慣れた下からレースステイを重ねるタイプだがメッシーナでは上からパーツを被せている。足の甲にフィットさせるのが難しいアデレードの場合はメッシーナの方が理にかなっていそうだ。

(20) ソールのすべり止め
履き込んで傷の付いたソールだがまだ滑り止めのダイヤモンドパターンは見えている。どれだけ効果があるかは分からないが磨かれた大理石の上を歩く機会の多いミラノのノーブルな人達には欠かせない一手間なのかもしれない。最近は日本でも件の古幡雅仁さんをはじめ採用する靴職人がいるようだ。

(21) キャップの作り
メッシーナで仕事を手伝った古幡さんによればキャップの作りはつま先に傷が付いても交換できるように二重仕立てになっているとのこと。しかもボリュームが出過ぎないよう別素材の薄革の上にアッパーと同素材のキャップを重ねることで見た目がスマートなつま先に仕上がると説明していた。

(21) 古幡さんの靴との並び
古幡さん@masahitofuruhataのインスタグラムからキャップトウの写真を借りて並べてみた。ガットで修行した後メッシーナで仕事をこなした古幡さんの作る靴はガエタノ親方同様エッジのない柔らかな曲線で仕立てられている。巷ではエッジの目立つ手縫い靴が多い中これだけ美しい靴を作る職人は限られよう。

メッシーナのミニマムオーダーは4足だったが全額前払いではなく一足毎の支払いで良かったのでフィレンツェのリヴェラーノやセミナーラ、ボノーラと合わせて定期的にミラノを訪れる機会が増えた。ミラノ〜フィレンツェ間はユーロスターで数時間、フィレンツェに宿をとって日帰りで訪問したこともある。

前金はリラ払い、単一通貨導入後に残金はユーロで払うという面倒な場面もあったがガエタノ親方と息子のジュゼッペさんと笑って会計したのも良き思い出だ。仕事の関係でイタリアに足が遠のきミニマム4足最後の一足を注文できぬまま時が過ぎたある日、古幡さんからの便りでガエタノ親方の訃報を知った。

しかも悲しいことに息子のジュゼッペさんも後を追うように亡くなったというではないか。未亡人となった奥様の悲しみや幾許か…それでも暫し残りの注文を捌いていたが程なく店を閉じたという。ジョンロブロンドンのように何代にも渡って引き継がれる名店もあれば創業者一代でひっそり閉店する店もある。

人によって運命はそれぞれ、当たり前だが平等ではないことを知った。それでも稀代の名店メッシーナの靴を履ける喜びを味わえたのは幸運だったとしみじみ思う。

By Jun@Room Style Store