2025/06/08 15:36

先日インスタグラムのフォロワーとビスポークのサンプルシューズ(以下サンプルと記す)が話題になった。自分も注文する際お世話になった一人だ。AIは「特に製品ベースの企業にとってサンプルはビジネスに欠かせない重要なツール。顧客獲得や売上、ブランドの認知度アップに寄与する」と重要性を説いている。
最近はインターネットの普及で店舗を持たないビスポーク靴屋も多い。各地でトランクショウを開いては自慢のサンプルを並べて注文を待つ。一見の客が会場に足を踏み入れ目の前のサンプルを手にしたら最後、引き寄せられるようオーダーを終え晴れて注文主となるわけだ。サンプルが如何に重要なのか分かるだろう。
そこで今回はビスポーク靴の注文に欠かせないツールであるサンプルに注目したいと思う。
※写真はジョンロブのビスポークサンプル
【ジョージクレバリー】
(1) 店舗の外観①

最初に紹介するのは実店舗を擁するロンドンのジョージクレバリー。一見狭そうだが地下と2~3階が工房や倉庫になっている。OPENの札が掛かるドアの呼び鈴を押すとロックが解除され店内に入れる仕組みだ。店に入る前に充分サンプルを見られるようショウウィンドウがせり出している。
(2) 店舗の外観②

初めてオーダーした1998年当時はビスポークサンプルが所狭しと並んでいたが今やクレバリーといえば既成靴が有名、ビスポークサンプルのスペースも心なしか減ったようだ。昔は既成靴を求めて入店した客に対応しつつもさりげなくビスポーク靴の話題や魅力を伝える…そんな接客だったことを思い出す。
(3) サンプル①

クレバリーのサンプルで白眉的存在といえばこのスペクテイター。レースステイ(茶色の部分)端がアルファベットのJになっているスワンネックが最大のチャームポイントだ。この意匠にやられて茶&白の靴を殆ど同じ仕様で注文している。サンプルをそっくりそのまま注文というあるあるな例だ。
(4) 完成品

こちらが完成品。サンプルに近いイメージだがパターンは微妙に異なっている。多分マイラストがスクエアだったからだろう。サンプルのイメージはそのまま顧客の足に合うようリデザインするのも職人の腕の見せどころ。ただもし今注文するならサンプルと同じラウンドを依頼するに違いない。
(5) ヒールデザイン

注文時に唯一「自分仕様」を入れたのがヒールカウンターのイニシャル。文字の左右が反転されて鏡に映したように見えることから英語では「ミラーライティング」と呼ぶそうな。教えてくれたのは担当したグラスゴー氏、既に10足目の注文だったこともあってこちらの意図を汲んだ提案をしてくれた。
(6) サンプル②

男爵の称号をもつアレクシス・ド・レデがクレバリーにオーダーした500足もの靴からサンプル化した中の一足がこちら。クレバリーではデ・レデ・モカシンという名でインスタグラムにポストしている。インパクトのあるヒストリーやデザインと素材の妙が相まって問い合わせの多いサンプルらしい。
(7) 完成品

こちらが完成品。バロンのようにスマートな足ではない分サンプルより甲高幅広に仕上がった。それでも既成靴にはない独自性はビスポークシューズならでは。これぞビスポーク靴といった出来栄えだ。革の素材はサンプルと全く同じピッグスキン、この時はグリーンのライニングを「自分仕様」にとお願いしている。
【ジョンロブロンドン】
(8) サンプル③

次はジョンロブ。念願のギリーを注文するにあたり「つま先をクレセントにしたい」と依頼。担当のレッパネン氏は彼の前の職場だった「クレバリーのギリーサンプルが参考になる」と教えてくれた。写真はそのサンプル。コテコテだがつま先はイメージどおり、サンプルはどんな説明より雄弁だ。
(9) サンプル④

こちらが本家ジョンロブのギリーサンプル。クレバリーより控えめなのが良く分かる。レッパネン氏は(クレバリーのような)切り返しの多い「フルブローグ風にするか」聞いてきたが「つま先はクレバリーで他はジョンロブ」と回答。ここでもサンプルに助けられながらハイブリッドな一足が完成した。
(10) 完成品

こちらが完成したギリーブローグ。つま先もそれ以外もイメージどおり、しかもジョンロブらしいやんごとなきハウススタイルが感じられる。つま先はクレバリーのサンプル風に言えばソフトチゼルか。ジョンロブとクレバリーの合体ビスポーク靴なんて英国靴好きの自分には夢のような共演だ。
(11) サンプル⑤

こちらもジョンロブサンプル。ビスポーク初心者の頃ならスルーしていた地味な黒のタッセルローファーだ。当時は靴を一から注文するなら既成靴にはないものをと気張っていた。完成した靴を見せに靴好きの店員がいるショップにわざわざ履いて行ってお披露目、ついでに靴談義したこともある。
(12) 完成品

こちらが完成品。デザインはバロン・デ・レデ仕様のボウタッセルだがシェイプはジョンロブのサンプルを参照している。ただしジョンロブのサンプルはよく見るとU字部分のモカに切れこみのあるレイズドレイク式。自分がオールデン好きを知っていることもありティームは迷わずロールモカを採用している。
【ジョンロブパリ】
(13) サンプル⑥

今度はジョンロブパリのビスポークサンプル。写真はパリのエルメス本店内での様子だ。まさにサンプルを選び終えて次は革を写真上の見本帖から探している場面。因みにジョンロブパリは靴に名前を付けており、こちらはバラルという名前。ロンドンほどではないがジョンロブパリもサンプルは豊富だった。
(14) 完成品

こちらが完成品。上のサンプルと殆ど同じ仕上がりなのに改めて驚く。因みにこの靴は「シングルソール」が自分仕様。履くと分かるがジョンロブパリの底材は頑丈で硬い。エルメス店内の職人もそれを知っていて「サンプルはダブルソールだけどシングルソールの方が良いと思います」と助言してくれたのだろう。
【フォスター&サン】
(15) ウィンドウディスプレイ

こちらはジョンロブやクレバリーと並んでサンプル豊富なロンドンの老舗ビスポークメーカー、フォスター&サンのウィンドウディスプレイ。残念ながら既に閉店したが写真は華やかなりし頃に撮影したものだ。エドワードグリーン製の既成靴に混じってサンプルのサドルシューズを確認できる。
(16) サンプル⑦

これがインスタグラムで話題になったサンプルだ。古色蒼然としたフルブローグが欲しくて入店。対応したのはロンドンビスポーク靴業界のレジェンド、テリームーア氏(以下テリーさん)だった。履いていったクレバリーのインソールを見ながら「足の小指が当たらないか?」と聞いてくるなど臨戦モードだった。
(17) 完成品

テリーさんにもう少し「つま先の長い靴が欲しい」と依頼すると意外にも「OK」が…足の小指が当たる部分を考慮して「捨て寸」を多めにとるよう判断したのかもしれない。仮縫い時はブリーチをかけて生成色になったアッパーレザーだったが完成品ではサンプルのように色褪せた感じに着色されていた。
(18) サンプル⑧

こちらもインスタグラムで話題となったサンプル。知人は全く同じ仕様で注文していた。自分はデザインを参考にしたがつま先のブリーチ加工はパス…だがフォスター&サンが閉店した今「あの時やっておけばよかったな」と思う。因みにこのブリーチ加工だがやり直しが効かないので色の落とし加減が難しいとか。
(19) 完成品

こちらは完成品。上のサンプルとの違いはコバが控えめなのとベヴェルドウエストになっているところ。担当は「テリーは男性靴らしいスクエアウェストが好き」と話していたがなるほど、上のサンプルはどっしりとコバの張ったスタイルだ。靴の額縁といえるコバは見栄えを左右すると改めて実感する。
(20) サンプル⑨

フォスター&サンのサンプルで一際目を引くスペクテイター。注目すべきは赤丸部分。同じ白革素材で仕上げる靴が多い中フォスター&サンでは茶色の細革を縫い合わせ、しかも穴飾りの〇を大きく開けて下の白地が覗くように仕上げている。既成靴ではエドワードグリーンが近いが〇穴が小さい。日本の老舗、銀座ヨシノヤの靴がほぼ同じなのは流石だ…。
(21) 完成品

既にクレバリーで茶白のフルブローグを頼んでいたのでサンプルを基に茶のツートンを画策。濃茶と薄茶やカーフとスエードなど組み合わせは様々だったが担当の一推しは色目の近い茶コンビだった。穴飾りの〇がもう少し大きくても良かったが遠目には単色、よく見るとコンビの仕上がりには満足している。
【マリーニ】
(22) ローマの店舗

最後はイタリアの誂え靴屋マリーニ。小ぶりなショウウィンドウにサンプル靴が何点か並んでいた。店の前は高級ブティック街のフランチェスコ・クリスピ通り。たまたまドアが開いていたので入店、誘われるままにオーダーしていた。当時、既にローマの名店ガットは閉店、マリーニは貴重な存在だった。
(23) サンプル⑩

サンプルの中から選んだのがこちらの4アイレットプレーントウ。イタリアの男性も華奢なベヴェルドウエストよりがっしりとしたスクエアウエストが好みだと聞く。下に敷いているのはシェルコードバン。たまたまこの日並べていた3色のシェルからウイスキーコードバンを選んで「この革で」とお願いした。
(24) サンプル⑪

同じプレーントウダービーのサンプルながらこちらは5アイレットでソフトスクエアトウ。ベヴェルドウエストで仕上がっている。自分のイメージに近いのでこのままのシェイプでアイレット4つのサンプルとの合わせ技をお願いした。採寸後の仮縫いはなし、ジョンロブ同様完成品を受け取るだけだ。
(25) 完成品

こちらが完成品。サンプルほどすらっとしてないがかなりイメージに近い。ウイスキーコードバンのプレーントウというとオールデンが思い浮かぶ。当時既にレアオールデンブームが起きており、ならばとビスポークした靴だ。最近は落ち着いたが円安もあってレアオールデンの価格は高止まりだ。
今回はビスポークシューズをオーダーする際のサンプルの重要性を再認識した。ところでAIに「客のニーズに応えてサンプルは多い方が良いか?」と聞くと意外な回答だった。「少ないより多い方が正確で信頼性の高い情報が得られる」反面「多すぎると調査にかかる時間やコストの増加が懸念される」そうだ。
結論としては作り手が適切なサンプル数を設定する必要があるということらしい。まず①市場感を把握したいのか詳細な分析を行いたいのか等目的を明確にすべきと助言している。また②サンプル数を増やすとコストも増加することや客が的を絞りきれない場合もある。そういった点を考慮すべきと指摘していた。
ここ数年ジョンロブの受注会に続けて参加したが会場には毎回テーマに沿ったサンプルが並んでいたことを思い出した。ある時はカジュアル靴だったりその次は王道の黒靴だったり…採寸や木型作り、仮縫いや底付け以前にどんなサンプルを並べて客の欲求を喚起するのかも誂え靴職人の腕の見せ所というわけだ。
By Jun@Room Style Store