東欧の名靴工房(前編) | Room Style Store

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2022/11/20 22:14


昔はアイビーからお洒落に目覚めたこともあって靴といえばアメリカ製やそのルーツである英国製が最高だと思っていた。1983年に初めてフィレンツェに行った時に買ったのはアメリカ製のローファーだったし1988年に再び訪問した時も選んだのは英国のグレンソン…イタリアの靴は華奢なマッケイという勝手な思い込みもあったが触手が伸びなかったのは間違いない。

1990年代後半にクラシコイタリアが大流行。名店リヴェラーノで服を誂えようと久々にフィレンツェを訪れた。無事オーダーを終え、満足のいく服が出来そうな予感に気分よくホテルに戻る途中偶然見つけたのが今回の主役ボノーラだ。既にイタリアにもウェルト靴があることは知っていたしリヴェラーノで誂えた高揚感もあって迷わず店のドアを開け靴の注文に臨んだ。

あれから22年、ボノーラは既に姿を消したが陰で支えていた東欧の名靴工房サンクリスピンは今も健在だ。そこで今回はボノーラからサンクリスピンへと連なる靴遍歴をまとめてみようと思う。

※扉写真はボノーラとサンクリスピン

【参考資料①】
サンクリスピンの靴達
写真はボノーラの既成靴と誂え靴、サンクリスピン後の短靴や長靴など全部で8足揃ったところ。クレバリー、フォスター&サンに続く三番目の大所帯だ。東欧の靴というとハンガリーのVASSが有名だがサンクリスピンは同じ東欧でもルーマニア、Romania(ローマ人の国)の国名が示すとおりラテン人により形成された国でイタリアとは同じ言語圏に入る。

《ボノーラ時代》
(1) 2000年8月25日
西暦2000年は20世紀最後の年。写真のデータを見るとバカンスも終わり街に活気が戻ってきた8月25日にボノーラ(BONORA)を訪問している。モダンなブティックといった雰囲気のボノーラは古式ゆかしいロンドンのロブやクレバリー、フォスターとは真逆の店構え。Scarpe su misuraと書かれた小さな写真立てがなければ戸惑うだろう。

(2) 採寸
店に入るとピッティスナップに出て来そうな店員が対応。「靴をオーダーしたい」旨を伝えて納期や仮縫い、ハーフデポジットなどひととおり説明を受けたら採寸の始まりだ。メジャーを持つのも最初と同じ真っ赤なパンタローニの男性、名前はダニエレパッチーニ。真剣な顔で採寸をこなすが本人は靴職人ではない。

(3) フットインプリント
お次はフットインプリントの登場。ロブパリのモックアップ方式、クレバリーの底付け前仮縫い方式に続いて新たな方法のお目見えだ。ハンドメイドシューズフォーメンを読んで知っていたが初めての経験に興味津々。インクをスクリーン版に垂らして延ばし、準備が出来たら片足ずつ乗せていく。

【参考資料②】
フットインプリントについて
先述したハンドメイドシューズフォーメンの誌面からフットインプリントのページを拝借。木型職人にとって「顧客のアーチ形状を正確に把握することはとても重要」と書かれている。アーチ部分に鉛筆を潜り込ませてトレースすると誤差が生じがちだが、これなら正確に足裏のアーチを写し取れそうだ。

(4) 足の形
フットインプリントで取れた自分の足型。土踏まずが結構深い。プリント上では人差し指が1番長そうに見えるが実際は親指が一番長い「エジプト型」の足。日本人に一番多いタイプだそうだ。足幅は広めで靴のデザインは苦労すると思う。因みにペルティコーネの吉本晴一さんもフットインプリントを併用している。

(5) ショップ内(その1)
採寸後はショップ内を見て回る。クラシックな紐靴とは毛色の違うテーブル上のドライビングシューズはカーシュー(CAR SHOE)。イタリアのドライビングシューズといえばトッズ(TOD'S)が有名だが1963年にスタートした由緒あるカーシューの手作りドラシューを推す声も多い。一時幻状態だったがプラダ(PRADA)の下で2019年に販売を再開したとのこと。

(6) ショップ内(その2)
オープンから間もない時だったこともあって店内にディスプレイされている靴は少ないがどれも素晴らしい。ドゥオーモ近くのマウロヴォルポーニよりも価格も控えめだった。一番下のオストリッチの外羽根は今なら間違いなく注文するだろう…写真は懐かしのサイバーショットで撮影。画質は粗いがこれでも22年前は最新のデジカメだった。

(7) ショップ内(その3)
1足目は写真の一番手前に見えるパンチドキャップトウで注文、つま先も同じラウンドトウをリクエストした。ユーロの導入が2002年1月1日だから当時は未だリラの時代だ。よく覚えていないが多分既成靴は4万円台だったと思う。既成靴もフレンチカーフ(デュプイ)のようで如何にも上質な革の雰囲気が写真からも伝わると思う。

(8) 既成靴を記念に買う
靴を注文した勢いで既成靴も購入。選んだのは一番手の込んだノルべジェーゼのプレーントウ。値段は他の紐靴とそれほど変わらない驚きの価格だった。アランチャ(オレンジ色)のカーフはラッタンジと同じながら底付けは直線縫いのトリプルステッチでラッタンジを凌いでいた。今だったら絶対に色ち買いしたと思う。

(9) シームレスヒール
ダニエレによればボノーラの既成靴は殆ど手縫いとのこと。掬い縫いは全てハンド、出し縫いもつま先部分のみミシンで後は手縫いという9分(9厘)仕立てのようだ。シームレスヒールの美しさやベローズタンの丁寧な作り、何よりピッチの揃ったノルベのステッチを見るにつけこれで既成靴ということ自体が奇跡のようだった。

(10) 履いてみる
ノルべの代名詞ブランキーニのようなチェーンステッチにコバ張りコテコテのソース顔に比べてしょうゆ顔のボノーラ、それでも精緻に縫われた3列のステッチがコバの周りをぐるりと360°一周する外見はただものじゃない雰囲気を漂わせる。当時は馴染みの店に履いて行くと「それ何処の靴ですか…」と話題になったものだ。

《1足目》
(11) 上質な革
翌春に仮縫いでフィレンツェを再訪、夏にようやく納品となった記念すべき1足目。選んだ革はデュプイのマロンカーフ。J.M.ウェストンの色味に近い。出来上がりはサンプル元よりぽってり気味なのは自分の足形ゆえ仕方ない…。このところ登板回数少なめだったが秋も深まり焼き栗の季節とともに出番も増えそうだ。

(12) シームをずらす
オーダー時に依頼したとおり踵のシームは内側にオフセットされている。日頃ブローグ好きにもかかわらずシンプルデザインの茶靴を選んだのは自分でも意外な気がする。ひょっとして当時ロブパリが「手縫い高級プレタ靴」として発売した元祖フィリップがボノーラ製だったことが関係しているのだろうか…。

(13) ウェルトのステッチ
もう一点リクエストしたのが出し縫いのステッチを生成り色に指定したこと。どちらかというとウェルトのステッチはコントラストの効いた生成り色が好み。最近でいえば日本の靴メーカーArch Kerry風に近い感じか。パンチドキャップトウのライン端もギンピングなしとフィリップに近い仕上がり。

(14) 履いてみる
ボノーラ(サンクリスピン)の靴はアーチがぐっと持ち上がっているのが特徴。しかもインソールを触るとアーチ部分にパッド状のふくらみがある。フットインプリントのデータが生かされているのか履くと土踏まずがぴたりと靴に乗っている感触だ。厚めのシングルソールは耐久性も十分。プレートなしのつま先もあまり減らない。

《2足目》
(15) アデレード
2足目はラウンドからセミスクエアにつま先を変更、デザインは真新しいサンプルのアデレードセミブローグを選んだ。ひょうたん型のレースステイはエドワードグリーンに近く英国靴を意識した感じだ。出来上がりはイタリアンな「アヒルの嘴」と英国風内羽根スタイルが上手く融合した満足のいく仕上がりだった。

(16) ヒール
丁度1足目を注文した頃ボノーラはイタリア国内の工房を閉じたようで靴仲間からルーマニアにファクトリーを構えるサンクリスピンがビスポークもプレタも請け負っていると聞いた。中敷きにMade in Italyがないのもなるほど頷ける。それでもイタリア靴らしいヒール(後ろ姿)の美しさは受け継がれていた


【参考資料③】
英国靴との比較
上はボノーラで下がフォスターサン。パーツを被せたブローグ系でもシームのないボノーラ(サンクリスピン)に対して英国靴はヒール近くにシームがちらりと覗く場合が結構多い。見た目はシームなしの方が絶対すっきりとする。そういえば当時は靴好きの間でシームレスヒールがよく話題になったものだ。

(17) アーチ部分
アーチ付近はボノーラ(サンクリスピン)ならではのハイブリッド、内側がベヴェルドで外側がスクェアのウェストになっている。内側を見る限りは誂え靴らしいキュッとしたウェスト、一方で無骨な外側は既成靴とほぼ同じ。靴を誂え始めると最初にこだわるのがこのウェスト部分ではないだろうか。

(18) 履いてみる
ボノーラはストールマンテラッシやステファノビ、サントーニといったイタリア靴のような色気はないがアングロアメリカンな靴と同じオーソドックスな魅力がある。特に2足目で全体のバランスが取れて以降はボノーラ時代に計4足、サンクリスピンに交替後も計3足と合計7足も注文するほど気に入った靴屋ということになる。

《3足目》
(19) 黒靴をオーダーする
3足目は黒のフルブローグをオーダー。当時は黒靴を仕事で履くことが多く他でも黒靴をオーダーしていた時期。ボノーラでは革を重ねたストロングタイプを注文した。後でクレバリーでも同じ型で注文するほどのお気に入りだったが今では黒靴の出番は減って磨く回数の方が多かったりする。

(20) トウデザイン
つま先のメダリオンは「変わったものを…」とダニエレに依頼。「OK、面白いデザインにするよ」とのことで出来上がってきたのが写真の穴飾りだった。パピヨン(蝶または蛾)をデザインしたものらしく70年代のアメリカ製ウィングチップに採用されている。NYの注文靴屋オリバームーア(Oliver Moore)のサンプルが有名だ。

【参考資料④】
オリバームーアのサンプル
ハンドメイドシューズフォーメンの誌面から写真を拝借したアデレードフルブローグの写真。つま先のメダリオンがまさにダニエレがチョイスしたパピヨンだ。同じアデレードでもアメリカバージョンは英国より朴訥で味がある。そういえばサンクリスピンの既成アデレードはこの写真とデザインが似ている

(21) アーチ
アーチ部分はまたしてもボノーラの定番、内側ベヴェルド+外側スクェアなハイブリッドウェスト。今ならもっと細かくオーダーを入れていると思う。因みに受け取りはクリスマスを過ぎたフィレンツェ。ドゥオーモ近くのレプブリカ広場にメリーゴーラウンドが置かれ、多くの人々で賑わっていたことを思い出した。

(22) 履いてみる
フィレンツェでは黒靴自体珍しい。ボノーラの店内も既成靴は茶色ばかりだしビスポークのサンプルも茶系がずらりとならぶ…ロンドンのビスポークメーカーが黒靴を並べるのとは違ってお国柄を感じさせる。とはいえ出来上がった靴はかなりスマート、セミスクエアのつま先はチャーチスのラスト#73番チェットウィンドを更に格好良くしたみたいだ。

実はこの後に4足目を注文、5足目にブーツを注文するところまで順調だったのに長年ボノーラを切り盛りし、来日したこともあるダニエレパッチーニが突然「辞めるから今のうちに靴を送るかい?」と電話をかけてきた。「いや近々フィレンツェに行くからその時受け取るよ」と応えたのが彼との最後の会話だった。その後ダニエレがどこで何をしているか今も分からない。

暫くしてダニエレのいないショップを訪問したが値段の大幅な変更や店員の対応の酷さに受取を拒否して店を出た。案の定ボノーラは間もなく倒産、あっという間に別のショップに衣替えした。ダニエレはそれを知っていて「靴を送る」と伝えてきたのだ…と気付いたものの時すでに遅し。幻のブーツは2019年サンクリスピンに再オーダーするまで長い間待つことになる。

日本にも短期間青山にショップがあったボノーラの最盛期はあまりにも短かったが黒子に徹していたサンクリスピンが表舞台に立つのはそれからほどなくのこと…そのあたりについては近いうちに後編としてまとめてみようと思っている。

By Jun@Room Style Store