日本の若き靴職人 | Room Style Store

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2022/12/17 19:05


日本の誂え靴職人の実力はこの20年で大きく花開いた。最近では欧米やアジアへトランクショウに出かけたりショップ主催の受注会に出向いたりする名工も少なくない。しかもその後を追う若き靴職人達の層の厚さや実力の高さも注目に値する。次代の匠を目指す彼等の作風には日本人の特性と言われる丁寧な仕事ぶりや仕事に対する誇りが感じられる。


ファーストランナーが海外で修行し技術を習得した黎明期から今では日本国内で技術を身に付けキャリアをスタートさせる靴職人もいる。情報化社会は職人の世界にも大きな変化をもたらしているようで、東レではインターネットによって熟練の技を端末から視聴しながら学習することができるシステムを開発して職人の早期戦力化を進めているという。

そこで今回は若き靴職人へのオーダーを通じて日本の誂え靴の今を探ってみようと思う。

※扉は採寸に訪れた工房

(1) ギャラリーに足を運ぶ
10月の終わり目黒通りにあるギャラリー"クワドロ"で開催された「8人の靴職人」に顔を出した。以前何度かコンタクトを取ったことのあるパリのディミトリゴメスの靴も並んでいたが、日本の職人さんの力作を見るために来たのが正直なところ。特に注目していたのが菱沼 乾さんの靴だ。モリジンのケン時代に見初めて以来注目していた。

(2) 作風
こちらが8人の靴職人展の様子。流麗なシルエットや美しい弧を描くアーチとベヴェルドウェスト、小ぶりなヒールのドレス靴が並ぶ中、異彩を放つ外羽根の黒靴が菱沼さんの作品。トリッカーズにも似た外鳩目の4アイレットやワイルドな熊革のアッパー、極めつけがトリプルステッチのノルべ製法…全てが特別だ。

(3) インスタグラムより
ご自身のインスタグラムから写真を拝借。菱沼さんは靴屋でバイトをしていた友人に感化されて靴に興味を持って以来300足以上の靴を履いては手放し遂には靴職人になることを決意したそうだ。「格好いい靴が好き」と話す菱沼さんのセンスの源泉は数多の名靴を眺めたり履いたりしてきた経験に違いない。この靴も実に格好いいではないか。

(4) 表参道にて
師走の平日、横浜にある菱沼さんのアトリエへお邪魔することになった。「車かバイクで来られますか?」と聞かれたが「日頃と同じ電車やバスで伺います。」と返答。当日は午前中青山界隈を散策して足を十分浮腫ませることにした。途中表参道のラルフズカフェで一休み、頃合いを見て原宿駅に向かった。

(5) 原宿駅から
2019年にローマで吉本清一さんに靴を注文して以来3年ぶりの新規オーダー。ぶらり訪問に相応しい小春日和の天気は雲一つない青空が広がる。広くなった原宿駅のホームでのんびり電車を待つ。確か「旧原宿駅の保存を」という声もあったはずだが耐火性能を満たす必要から保存ではなく復元ということになったと聞く。

(6) 品川駅にて
品川駅で大船行きに乗り換え。元々建築が専門の菱沼さんは目下八ヶ岳に靴工房を建てるべく準備中とのこと。モリジンから真の森人になる日もそう遠くないだろう。その時は電車で訪れるのも良さそうだ。途中蒲田駅の発車チャイムが「蒲田行進曲」だったり川崎が意外と近かったりと目的地まで小さな発見の連続が楽しい。

(7) バスに乗る
最寄り駅を降りたら次は「路線バスの旅」。ロータリーまで歩道橋を上り下りしたり早歩きしたりせっせと足を使う。3年前ローマで吉本さんに靴をオーダーした時はロングフライトで足がパンパンのまま採寸に臨んで大失敗。ぶかぶかの仮縫いだった結果から次にビスポークする時は足を十分動かすこと…と心に決めていた。

(8) アトリエ
バス停を降りてようやく菱沼さんのアトリエに到着。まずはコーヒーと手土産のケーキで雑談から。日本の靴学校で技術を身に付けた菱沼さんはわずか数年後の2019年には早くも独立するなど軽快なフットワークが特徴。今年の11月京橋のNEWSで開かれた展示会に出品したサンプル靴はその後販売されたがどれも完売だったと聞く。


【参考資料①】
こちらが京橋のギャラリーで開かれた展示会の案内。自分は菱沼さんのカントリーライクな靴に惹かれるがドレス靴の出来も素晴らしい。「ハウススタイルはないんですが色々なタイプの靴を作るのが好き。」と語るように展示会の靴はバラエティ豊か。菱沼さんの考える「格好いい靴」に魅せられた来場客も多かったのではないだろうか。

(9) アトリエの様子
展示会でも話題だったうるし塗りのツリーは専門の職人さんにお願いしたもののラストメイクからアッパーのクロージング、底付けやツリー製作まで一人でこなすスタイルはパリのディミトリゴメス以上かも知れない。所狭しと並ぶ工具はコルテの工房を思い出す。沢山ある道具もオークションを通じて賢く入手しているとのこと。

【採寸開始】
(10) フットプリント
いよいよ採寸開始。はじめに靴下を脱いで紙の上に乗って足型をトレースする。その後写真のようにカーボンコピータイプの専用フットプリント紙で両足型を写し取る。インクをチューブから出してヘラでスクリーンに伸ばして足を乗せるフットプリント用工具より便利とのこと。日々採寸技術も進歩しているようだ。

(11) テープによる採寸準備(右足)
予め足型をトレースした紙の上にポイントとなる採寸場所用のテープを貼っていく。メジャー(巻尺)と違って目印を付けるだけでその都度数値を読み取る必要がない分効率的だそうだ。誤差を考慮したのか紙テープの幅は同じ手法のジョンロブよりもずっと細い。採寸箇所はボールジョイントからアーチにかけて4か所のようだ。

(12) テープによる採寸準備(左足)
左足用のセットが終わったら次は右足用の準備に取り掛かる。一人一人の足に合った靴作りが求められる注文靴は採寸方法も様々。どの職人も一つの方法に留まらず絶えずアップデートしている。特に若い靴職人さん達は互いに情報交換しつつより良い方法を探っているようだ。日本の注文靴が世界の注目を集める中、切磋琢磨しているのだろう。

(13) 足を乗せる
準備が整ったらまずはトレースした型紙に左足から乗せていく。最初に足を乗せた時と変わらぬよう踵を再び同じ位置に乗せる。ここがずれてしまうと正確なデータが取れないようで何度も踵を微妙に動かしては細かく調整していた。足の位置が決まると次は靴下の上から足の甲にマスキングテープを貼って計測ポイントを決めていた。

(14) 計測(その1)
テープを足に沿わせて採寸ポイント上でテープとテープの重なりに目印を付けていく。写真は立った時の状態だが、同じことを座った状態でも繰り返す。立位と座位の足型の変化を数値化するという訳だ。人によって立った時の足型の変形具合は千差万別。大きく広がるタイプの足はそれだけ靴のフィッティングも難しくなるようだ。

(15) 計測(その2)
写真は甲に沿って計測場所をつま先側から足首側へと順序移動、写真は最も甲が高い4か所目を計測している様子。因みにロブパリはテイラーと同じ目盛り付きのメジャーを用いて測り、その場で数値をシートに記入するがジョンロブは菱沼さんより太い紙テープを使ってボールジョイントやインステップ、踵から足首までの周囲を順に測っていく。

(16) 反対側の足
今度は右足の番。菱沼さんが最も無口だったのがこのテープを使った採寸場面…こちらも邪魔しないように写真を撮影した。思い返すとクレバリーの採寸はもっとあっさりしていたと思う。これだけ時間をかけるのも一足目からフィッティングの精度を上げるため。昔のように3足目でフィッティングを完成させる…なんて悠長なことでは顧客も離れかねない。

(17) 踵から足首周り
踵から足首前までの採寸。これと同じ場所をジョンロブの時も採寸していたことを思い出す。踵から足首前までぐるりと囲むラインは靴をホールドする大切な部分なのだろう。ジョンロブは紙テープによる採寸だったが菱沼さんはこの部分については紙ではなくメジャーで計測していた。

(18) 採寸終了
採寸の終了。一枚の紙に足型をトレースしたラインや土踏まずの隙間にペンを入れて写し取ったアーチの形状、ボールジョイントから甲にかけての採寸値(テープ)など貴重なデータぎっしりが詰まっている。「かがみ式」と呼ばれる採寸方式があるそうで、他のビスポークメーカーを見たらこのテープを使った採寸場面が載っていた。

【参考資料②】
フィッティング靴
全て終了かと思いきやまだ続きがあった。何やら黒い靴を取り出すと「ベースラストを使ったサンプル靴を試着してみて下さい。」とのこと。なるほどベースラストを修正するには良い方法だ。サンプル靴を履いてヴァンプ部分のルームや内羽根の開き具合、ヒールや履き口など手で触れつつチェックしていく。因みにサンプル靴のサイズは8だった。

(19) 靴のデザイン
今回オーダーのベースになるのがこちらのトリプルステッチノルウィージャン。精緻なU字ステッチと対照的な力強い2列のステッチと比較的ピッチの大きなコバステッチが靴をぐるりと囲む様は田舎暮らしの自分にとって理想のタイプだ。素材も国産のイノシシ革を使っているようでサンプルは革の細かな傷を敢えて避けずに仕立てたとのこと。

【参考資料③】
フランス靴
この後は①木型の完成→②モックアップの作成とトライオン→③データを元に本番靴製作→④納品となる。せっかくなので参考になりそうな昔の写真を出してみた。ウェストンのハントにも似た外羽根のノルべはなんとコルテのサンプル、太くてピッチの細かなノルベ部分のステッチがそそる。まだ時間はあるので細部は今後じっくり考えようと思う。

(20) インスタグラムより
上が菱沼さんのサンプル靴。下ジムマコーマックによるジョンロブのノルべ靴。菱沼さんのコバステッチは8SPI(1インチ当たり8ステッチ)とのことだがジムは12SPIとかなり細かい。一方インソールとアッパーを繋ぐ第1ステッチ(一番上)は菱沼さんの方が太くて力強い。トリプルステッチをどう「格好良く」するか菱沼さんと相談していきたい。

(21) 靴のシェイプ
コバが張っているのとU字型のモカ縫いのラインが影響して「ぽってりと丸い」印象のサンプルだが実際はかなりスマートなラウンドトウとのこと。誂え靴職人の多くが華やかなドレススタイルの靴を競う中、こうした無骨な外羽根靴を出してくる守備範囲の広さが菱沼さんの魅力の一つ。

(22) バロスとの比較
履き口の切り返しをバロス風(左)にするかサンプル(右)と同じにするか…と話していたらさっと本物のバロスを出してくる。既成靴を沢山履いてきた菱沼さんは靴好きの間で話題になる靴は履いてみただけでなく今も資料を兼ねて手元に残しているようだ。ビスポーク靴にとどまらず既成靴に明るいのも心強い。

(23) オーダーシート
オーダーシートに素材や仕様、オプションなどを記入、最後にプライス欄を埋めて控えを受け取った。今のところ①革素材②ノルベ製法③メタルトウプレートの装着がアップチャージの対象。ノルベで外羽根のUチップは確定だがスプリットトウにするかあるいはイノシシ革を牛のシボ革にするかこれからしばらく迷いそうだ。

ビスポークのフルブローグと一流どころの既成靴メーカーによるフルブローグを並べてみたとする。フィッティングはもちろんビスポークの方が優れているし手縫いを駆使したビスポーク靴は見るからにチャーミングでオーラを放っているに違いない。だがビスポークの方が格好いいか…となると話は別だ。


自分のようなエジプト型の足に合うのはオールデンのモディファイドやビルケンシュトックということになるが実はどちらも持っていない。なぜか?答えは簡単、もっと格好いい靴が欲しいからだ。ビスポーク靴職人にとって「足に合って格好いい靴を作ってくれ」と頼まれるのが如何に大変か分かるだろう。

足に合わせる作業が格好よくなるなら全く問題はないが多くの場合は相反することが多い。そんな中で「格好いい靴」を肝に据えた靴作りをする菱沼 乾さんの魅力については今後仮縫い靴や納品など何回かに分けて紹介していこうと思う。

By Jun@Room Style Store