嗚呼、碓氷峠 | Room Style Store

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2023/05/01 17:21


コロナ禍から日常を取り戻した日本…今年は3年ぶりで行動制限のないGWとあってどこも混雑しているとのこと。ここ数年GWは信州の田舎でひっそりしていたが今年は人手の多さが際立つらしい。普段は昼から手打ち蕎麦と日本酒をゆっくり味わえたのにこの土日は順番待ちの客と満杯の駐車場で蕎麦屋も大忙しだったようだ。

混雑を避けて一足先に信州から帰京。GWが明日から始まるという金曜日、空いている平日とも暫くお別れとばかりに朝早く日帰りツーリングに出かけた。目的地は軽井沢、とは言ってもいつものようにショッピングメインじゃなくて今回はルートそのものがメインの旅だ。田舎暮らしの影響か特に混雑を嫌がる癖が付いている。

そこで今回はタイトルどおり碓氷峠を目指してバイクの日帰りツアーを敢行した時の様子を書いてみたい。

※扉写真は碓氷橋とバイク。

(1) 夜明けの上里SA
関越自動車道を走ること約1時間、このところ4月としては異例の真夏日を記録するなど温暖化が進んでいるようだが朝方はまだまだ寒い。朝日のあたる上里SAで休憩。外は閑散としているが明日から始まるGW前の金曜日とあってフードコートはレジャーに向かうお客さんがちらほら見える。

(2) 出発前に給油を
もう一台のハーレーXL1200Xは7.9ℓしか入らないがこちらのZ1はタンク容量が余裕の16ℓ、とはいえ給油なしでこの先碓氷峠を越えて軽井沢に着いても早朝だとセルフも含めスタンドはどこも開店前に違いない。やはりSAで入れておくのが正解だろう。因みに燃費は17㎞/ℓとハーレーより低いのは4気筒ゆえか…。

(3) 旧碓氷峠へ
松井田妙義で上信越道を降りて国道18号を長野方面へ…途中で旧道に入るとまもなくつづら折りの旧碓氷峠が始まる。あっという間に9番カーブを通過。右に見える碓氷小屋は峠の登山口だ。昔はバスの停留所だったようでこの先にあるめがね橋と同じアーチの屋根が洒落てる。カーブは全部で184…まだまだ先は長い。

(4) めがね橋に到着する
33番カーブの先に現れるめがね橋。重要文化財の巨大な鉄道橋は昭和38年まで実際に使用されていたもの。2本のレールの間に歯状(ラック)レールを敷き、機関車の歯車と噛み合わせるアプト式で急勾配を越えたという。横川からは反対車線側なのでUターンして撮影。対向車の来ない早朝は気楽だ。

【参考資料①】
〜看板〜
イギリスと日本の技師で設計されたアーチ橋はレンガの長手(長い面)を並べる段と小口(短い面)を並べる段を交互に積むイギリス方式。明治25年の竣工とあるが日本初の鉄道開通が明治5年…僅か20年でここまで発展していたのかと驚く。赤字路線の廃止が進む日本だが鉄道網の整備のおかげで今の日本があるのは間違いない。

(5) 下から見上げる
アプト式の線路はこのめがね橋の上を通り先の軽井沢まで全長11.2㎞。26のトンネルと18の橋梁を含めて僅か1年半で開通したという。その背景には生糸の輸出と外貨獲得という重要な使命があったそうだ。昭和38年には速度の遅いアプト式から通常の線路に切り替えアプト式は廃線となったが60年後の今も往時を偲ぶことができる。

(6) 碓氷橋の上で
下を流れる川は碓氷川、プレートの「碓氷橋」が写るよう欄干端にバイクを寄せて写真撮影。朝日の中そびえ立つめがね橋とバイクを一緒に写すのは中々難しい。それほど大きな建造物ということか…。それにしても車一台通らない。あまりの静けさに熊や猪でも飛び出て来やしないか気になってくる。

【参考資料②】
〜熊の平駅跡〜
次なる目的地は83番カーブの熊ノ平駐車場付近。山側の階段を登ると熊ノ平信号場跡に辿り着く。開通時の信号所から鉄道駅に昇格、昭和38年の新線開通後も存続していたが昭和41年には再び信号所に降格。1997年の新幹線開業で廃止となる。変電所や今も残るレールなどまるで時が止まったままのようだ。

(7) つづら折りを進む
Googleのストリートビューから碓氷峠のつづら折りの写真を拝借。右に左にとどこまでもカーブが続くワインディングロードこそバイクツーリングの醍醐味、黄色いセンターラインにあるマーカーのおかげか車線をはみ出す対向車もなく気分よく走れる。交通量は少ないが手入れが行き届いているようで有難い。

(8) 128番カーブ
さらに進んで128番カーブで停車。遠くに見える電柱は新線の跡だろう。昭和38年(1963年)アプト式から切り替わった新線も急勾配は変わらず。列車の単独運航が難しいため機関車の後押しで難所を超えたという。そうした特殊事情から一足先に貨物列車が廃止。新幹線の開業で新線にも拘らず僅か34年で廃線となっている。

【参考資料③】
〜旧信越本線 碓氷第13橋梁〜
調べてみるとこの場所は碓氷第13橋梁、手前は煉瓦造五連アーチ橋でアプト式の線路跡。奥が昭和38年に作られた新線らしい。奥は電柱や架線を張るビームが残っている。「兵どもが夢の跡…」ではないが、長野新幹線開通までは機関車に押された特急列車がここを通っていったのだろう。

【参考資料④】
〜鉄道遺構〜
新線跡は電柱やビームに加え枕木や線路も当時のまま。先に見えるのが新線の第10トンネルとのこと。今にも列車が通過しそうだ。一時「横川・軽井沢間の線路が復活か」なんて話題になったが、コスト的には無理だとしてもこうして残っている線路を目の当たりにするとひょっとして…なんて思ってしまう。

(9) 軽井沢駅到着
最後の184番カーブを抜けて長野県の看板を越えると軽井沢駅北口に到着。ちょうど通勤・通学の客で賑わう時間帯だ。旧軽井沢駅を模して再築した写真の記念館は今「しなの鉄道」の駅舎として現役復帰中という。ショッピングプラザのある南口に客足が偏りがちな駅周辺の新名所として写真映えは申し分ない。

【参考資料⑤】
〜草軽軽便時代〜
こちらは旧軽井沢駅前の保存機関車。かつて軽井沢と草津温泉を結んでいた草軽軽便(線路の幅が狭い鉄道)の車両だ。1915年の開業から1962年の廃業まで47年という短い社史の間に草軽軽便鉄道→草津電気鉄道→草軽電気鉄道と名前を変え、今も草軽交通という名のバス会社として存続している。

(10) プリンスショッピングプラザ
周辺を散策したら南口のプリンスショッピングプラザに移動。開店直後から結構な人出だ。ブルックスやラルフはめぼしいものなし。GW直前でこの品揃えだと遠路はるばるショッピングに来た人はがっかりするかもしれない…。三大セレクトショップもビームスは省略、UAもチラ見してシップスへ直行。

(11) ブロードクロスのBDシャツ
このところBDシャツといえばオックスフォード地ばかりだったが今や季節は夏。薄手はないかと探していたら真っ白なブロードの一枚を発見。ラルフローレンのシャツを担っていたアイクベーハーらしいショートポイントな襟が軽快で良い。洗いざらしをノーアイロンで着るのが様になるタイプだ。

(12) シャツのディテール
アイクベーハーの特許、台襟内側の「ダイヤモンドキルト」を筆頭にロッカーループやセンターバックボタンにフラップ付きの胸ポケット、更にガウントレットボタンやスプリットヨークに裾のガセットなど…上質なシャツに求められるスペックを全て備えている。しかもアメリカ製とくれば買わない手はない。

(13) 碓氷鉄道文化むら
午前中で足早にショッピングプラザを離れ再び碓氷峠の旧道を通って横川へ。次なる見学場所は旧横川駅の跡地に建設された碓氷峠鉄道文化むらだ。平日のせいか駐車場はどこも空いている。入り口付近にバイクを留めて入場券を購入。この日も各地で夏日を記録したようで革ジャン姿はさすがに辛い。

(14) 入場券とパンフレット
開園初年度は30万人の来客があったもののコロナ禍の影響もあって一昨年は大きく減少、ここで入場料を500円から700円に値上げしたという。資料館をひと通り見てから屋外を散策。メインは展示されている屋外の車両見学。開放的な気分を味わえるが、雨風に打たれ色褪せや錆など劣化が進む車両が気がかりだ。

(15) 展示車両(その1)
八王子周辺で育った頃を思い出す八高線(八王子~高崎)のキハ35。ペンキを塗り直したのか状態がいい。昭和45年に無煙化されるまで蒸気機関車が走っていた八高線はやがて廃線か…と思いきやJR後の平成8年、まさかの電化で川越線へ乗り入れ始めた。今や小江戸「川越」に至便な路線の一つになっている。

(16) 展示車両(その2)
こちらも昔懐かしキハ20。展示車両自体も高崎や八王子に姿を見せていたようだ。かなり錆が目立つが子供時代に見かけているかもしれない。朱色とクリーム色のツートンは国鉄時代を知る昔の鉄道ファンには堪らない魅力の一つ。千葉県のいすみ鉄道や小湊鐡道のディーゼルカーがその配色に拘るのも理由がある。

(17) 展示車両(その3)
写真はアプト式の後を引き継ぎ1963年から碓氷峠の主役となった機関車。重い列車を抱えて奮闘する様は峠のシェルパと例えられていた。1997年の新幹線開通に伴う横川・軽井沢間の廃止で34年という短い生涯を終えている。ふと徳川家康の「人の一生は重き荷物を負うて遠き道を行くが如し…」が思い浮かんだ。

(18) 名物を味わう
文化むらを見学し終えたら昼食タイム。日本にモータリーゼーションの花が開いたのは1960年代。1962年にいち早くドライブインを開設した”おぎのや”で「峠の釜飯」を味わう。国道18号沿いという好立地だけあって車やバイクが次々とやってくる。隣が製造工場なので出来立てを一番先に味わえる(かもしれない)。

(19) 峠の釜飯
“おぎのや”は現存する日本最古の駅弁屋。益子焼の土釜に入った「峠の釜めし」は1958年の誕生だが「温かいまま食べられる」という当時としては画期的な商品だったようだ。今や全国区の逸品を早速味わってみる…ほんのり温かな具材と茶飯、新鮮な風味の漬物など駅弁の筆頭格にランクされるだけのことはある。

(20) 帰路へ(高坂SA)
横川で昼食後は給油を終えバイクも満腹。行きと同じ松井田妙義から上信越道でリターン。明日からのGW前半に合わせて東京を目指す地方ナンバー車も多い。高速を使って楽しめる日帰りツーリングは300㎞が限界とのこと。この日は往復で280㎞、しかも碓氷峠の旧道往復込みなので疲労度高めにつき高坂SAで休憩…。

(21) シャツを着てみる(その1)
帰宅後はシップスでの戦利品を試着。白Tシャツの上に羽織って袖を捲り、裾出しスタイルで前ボタンを2つ留める。ラフな着こなしでも白シャツ自体に品があるので「だらしなく見えない」のがポイント。それにブルックスの元祖BDシャツより5㎝も裾が短いのでタックアウトしても気にならない。

(22) シャツを着てみる(その2)
今度はドレスシャツ風にタックインしてネクタイを結んでみる。洗濯したらノーアイロンで…襟や前立てカフまでパッカリング状態のままタイを結びジャケットと合わせれば「程よい抜け感」も出てくる。コットンのブレザーにリネンのタイ、さらに素材は違えど同じ柄という「外し」も意外と効果がある。

実は今回で2度目のめがね橋訪問。前回ハーレーで軽井沢に行く途中に立ち寄った時、急勾配の「碓氷峠」に鉄道を敷いた先人の労苦や当時の面影に興味が湧きいつかまた来ようと思っていた。4月に入り群馬県の天気予報をチェックしながらツーリング日和を待ちつつここでようやく願いが叶ったことになる。

ヤフートラベルお出かけスポット関東の峠でも第2位にランクインされる碓氷峠。バイク乗りとしてはワインディングロードに心惹かれるが鉄道の難所としてめがね橋をはじめとした鉄道遺構も見どころだという。アプトの道など明治の線路跡や今もレールの残る昭和の碓氷新線をガイド付き歩くツアーもある。

追記
めがね橋の管轄である安中市の観光機構が今年も碓氷峠新線の「廃線ウォーク」を企画していると判明。今まで2回ともバイクだったが今度は徒歩で横川から軽井沢まで歩いてみようと思う。結果は当ブログで報告したい。ついでに碓氷峠にまつわる短歌を二首載せておく。

若山牧水
さらばなり 信濃の国のほととぎす 碓氷越えなばまた聞かめやも

斎藤茂吉
いにしへの 碓氷峠ののぼり路に 我を恐れて飛ぶ小鳥あり。

By Jun@RoomStyle Store