廃線を歩く | Room Style Store

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2023/05/21 19:42


5月1日付の当ブログ記事「嗚呼、碓氷峠」最後に追記した「廃線ウォーク」に早速参加してきた。26年前に廃線となった信越線の横川〜軽井沢間11㌖を歩くというユニークな企画は昼食付で6時間の長丁場。片峠と呼ばれ横川から553㍍高い軽井沢に向かってひたすら登りの続く碓氷峠だけに服装や携行品にも気を使う。


催行者の安中市観光機構のお薦めは長袖・長ズボンに登山靴…何しろに夏でもひんやり涼しいトンネル内を歩くだけに体温調節できる服装が良いそうだ。それに万が一に備えて安全帽とペンライトも必携、こちらはレンタルを申し込んだ。ヒルが足元に付くこともあるので虫よけスプレーもチェック項目に入っている。

そこで今回は先日バイクで越えたばかりの碓氷峠を鉄路に沿って歩いた時の様子を紹介しようと思う。

※扉写真はトンネル内での記念撮影

【参考資料】
着慣れた服装
服装は着慣れたものが一番。足元はヒルやヘビとの遭遇に備えて踝丈のブーツを用意…履き慣れたレッドウィングだ。洗い立てでも快適な着心地のRRLにGIベルトを締めて9オンスと軽いチャンピオンスウェットを羽織る。水筒を含め携行品は全てカーキのリュックに入れていざ出発だ。

(1) 赤羽から高崎へ
集合場所の横川まで車で行こうかバイクで行こうか迷ったが長時間歩いた後の運転は無謀だ。通勤ラッシュの電車を乗り継ぎ赤羽駅で乗り換え。2時間近くかけてようやく高崎駅に着いたら再び信越線に乗り換え終点を目指す。因みに横川は群馬県、信越線と名乗るも碓氷峠の廃線で信(濃)越(後)には行けない。

(2) 終点の横川駅
高崎から30分少々…かつて特急列車が通っていたとは思えないローカルな雰囲気が漂う終点横川駅に到着。新幹線が開通するまではこの先の碓氷峠を登る列車の最後尾にシェルパ(電気機関車)を連結させていた。その作業に要する時間は4分、乗客はその間に名物「峠の釜めし」をこぞって買っていったと聞く。

(3) 関所跡
もともと江戸時代から碓氷峠を越える中山道は重要な交通路。幕府は関門として碓氷関所を設置し「入鉄砲と出女」を厳しく取り締まったという。因みに入鉄砲は「武器の持ち込み」を、出女は「諸大名の妻女の出国」を意味する。明治2年の取り壊し後、密かに保管されていた部材で番所跡に復元したのが写真の門だ。

(4) 古い看板
こちらはなんともレトロな看板が残る倉庫。右上には2枚の看板が取り外されたであろう真新しい跡が残っている。廃線ウォークのガイドさんの話によれば「ある日コレクターがやってきてお金を払うからぜひ譲ってくれ…とお金をその場で払って持ち帰った」とのこと。因みに残っている看板はレアではないらしい…。

(5) 線路に沿って歩く
関所跡やレトロな看板を見た後はいよいよ廃線に沿って歩きはじめる。とはいえ写真左側の「下り線」は観光用トロッコ列車が一部区間走るので現役路線。一方右側の「上り線」は舗装して歩きやすくしている。よく見ると2本のレールは残ったままだ。この先のトロッコ列車終点「とうげのゆ」は昼食場所、まずはそこを目指して緩やかな坂道を歩いていく。

(6) 旧丸山変電所
暫く歩くと現れるレンガ造りの建物は「丸山変電所」。立派な外観は国の重要文化財に相応しい。トンネルの多い碓氷峠は煙を吐く蒸気機関車では厳しいため日本で一番最初に電化された区間。横川の火力発電所で発生した交流電気をこの丸山変電所で直流に変えて電気機関車のモーターを回し列車を走らせたという。

(7) イギリス式の煉瓦積み
碓氷峠のシンボル煉瓦積みの「めがね橋」の設計には英国人技師パウネルが参加している。この丸山変電所もめがね橋同様イギリス式の煉瓦積みだ。因みに同じ群馬県内の世界遺産、富岡製糸場はフランス人技師による設計のためフランス式の煉瓦積み。雇われ外国人技師のお国柄が煉瓦の積み方に表れているという訳だ。

(8) 特製釜めし
トロッコ列車の終点用に特設された駅「とうげのゆ」で昼食。いつもと変わらぬ安定の美味しさ「峠の釜めし」だがこころなしかおこげが多めで香ばしい。記念にとも思ったがまだまだ登りが続くので赤い特製容器の持ち帰りは断念…昼食場所まで運んでくれた係員にお礼を言って容器を戻した。

(9) 立入禁止内に入る
いよいよ立ち入り禁止区間に入る。廃線を観光資源として活用する「ロストラインツーリズム」はこの碓氷峠以外にも各地で盛んなようでどこも人気を博している。この日もツアー参加者は総勢11名、ガイドさんの撮影ポイントも的を得ていて「この看板は撮影ポイントです」と教えてくれる。

(10) 1号トンネル
いよいよ最初のトンネルに到着。壁の左上にある1Tは1号トンネルを意味する。因みにレールの上を歩くのは足を捻るので危険、かといって両脇の小石(バラスト)上を歩くのはかなり疲れる。枕木の上を小幅な足取りでリズムよく歩くのが一番いい方法らしい。といっても慣れた歩幅と違うので足元に注意を向けていると景色を見落としがちだ。

(11) 上り線と下り線
トンネルを抜けると「下り線」と「上り線」が並行して走る場所に到着。右側が最初に作られた「上り線」。立っている場所が後から作られた「下り線」になる。1963年「上り線」のみで始まった営業は1966年に「下り線」が完成、複線化によって急行に加え待望の特急「あさま」も運行されるに至った。

(13) 架線引張装置
電車が走るには屋根上のパンタグラフから電気の流れる架線を介してモーターに電気を伝えることが必要。その架線が程よく張られるようおもりを付けて調整するのが写真の張力調整装置だそうだ。柱に付けられたカラフルな帯は運転台から架線の張り具合を監視する時の目標にしていた…とガイドさんが説明してくれた。

(12) 上り線の様子
階段を降りて「上り線」を見学。下草を刈って歩きやすくした「下り線」と比べうっそうとした「上り線」は如何にも廃線然としている。ふと芭蕉の句「夏草や兵どもが夢の跡」が頭に浮かんできた。草が生い茂るこの場所をかつては機関車や運転士、保線員が奮闘したであろう当時に思いを馳せた。

(13) 最長トンネルへ
廃線ウォーク最長トンネルに到達。全長1215㍍、緩くカーブしているので進むと次第に入口からの光も届かなくなり真っ暗に…昼食場所で配られた安全帽を予め被ってペンライトを付けながら進む。途中全員のライトを消して暗闇を経験。一番長いトンネルだけにひんやりというより寒さを感じた。

(14) 出口で記念撮影
更に進んでいよいよ出口へ…ここで休憩しながらガイドさんが参加者一人一人好きなポーズのシルエット写真を各々のカメラで撮影してくれる。スマホが多いが中にはデジタル一眼レフの本格的なカメラを持参している参加者もいる。非日常を満喫できるこのツアーは体験派も撮影派も大満足する名企画だ。

(15) 第二トンネル先の鉄橋
記念撮影を終えた先にある鉄橋はその名も「新碓氷川橋梁」。線路の内側には脱線防止のガードがあるので「間に足を挟まれないように注意してください」と忠告するガイドさん。橋の左右は柵があるものの高さは思ったより低い。身を乗り出すと落ちてしまいそうだ。下を流れる碓氷川まで50㍍くらいか…。

(16) 左手はめがね橋
橋の上から軽井沢に向かって左手を見ると遠くにめがね橋が見える。国道18号(旧道)側からみる立派な姿と違って黒ずんでかなり古い印象だ。アプト式鉄道時代の線路跡は現在アプトの道としてだれでも歩けるようになっている。この日は橋の上を散策する観光客がこちらに手を振っていた。

(17) 右手は上り線
反対側には先に完成した「上り線」が見える。実は軽井沢出発の廃線ウォークもあってその場合は写真の「上り線」からこちらを見ることになる。残念ながらめがね橋は「遠くかすかに見える」だけらしい。横川からの廃線ウォークは登りの連続で疲れるけれど写真映えのする場所が多いと思う。

(18) 熊の平
鉄橋を渡って2番目に長い第3トンネルを抜けると唯一平らな場所「旧熊の平駅」に辿り着く。ここは仮設トイレもあるので長めの休憩が用意されてる。1963年の「上り線」開通後も駅として機能していたが1966年の「下り線」開通によって複線化された時点で廃駅となり新幹線開業まで信号所として存続していたという。

(19) 急勾配のトンネル
熊の平を出るとすぐに勾配が始まる。歩いていても「登り坂」だと分かるくらいだ。暫く進むとトンネルの中ほどに標識(レプリカ)があって勾配は66.4‰を指していた。1000㍍進む間に66.4㍍登るという意味だが車重のある列車にとってはかなりきついはず。因みに箱根登山鉄道はさらにきつい80‰だという。

(20) トンネルの連続
熊の平から先は小さなトンネルが連続する。ところで碓氷峠のトンネルは通常の馬蹄形ではなくU字磁石のような形をしている。これはトンネル両脇に充分人が通れる余地を残すためだそうだ。トンネル内の脱線など万が一の事故やメンテナンスのしやすさなど安全第一の設計になっているとのこと。

(21) 最後のトンネル
いよいよ最後の18番トンネル前に立つ。トンネル内には群馬県と長野県との県境が記されている。最後は参加者思い思いの足取りでゴール。安全帽とペンライトを返却したらガイドさんにお礼を言ってゴール地点から更に軽井沢駅まで歩く。かれこれ13キロは歩いただろうか…流石に足は疲労気味だった。

(22) ゴールの軽井沢にて
軽井沢といえばアウトレット。平日とはいえキャリーケースを転がす観光客が目立つ。インバウンド客にとって楽しい海外旅行、お洒落な服装で買い物を楽しむ姿は微笑ましい。それに比べて当方は埃まみれのワークブーツにデニム&スウェット姿。ショップ巡りはパスしてフードコートで冷たいビールを味わった。

(23) 汚れたブーツ
帰宅して脱いだ状態のブーツ。デニムの裾が被る位置から下は埃まみれなのが良く分かると思う。小石に躓いて傷の付いたつま先や汚れたホワイトソールなどハードユースによく耐えたものだ。因みに参加者の多くは軽量トレッキングシューズやスニーカー、ワークブーツは自分一人だけだった。

【参考資料①】
〜埃とり〜
まずは埃をはらって硬く絞った濡れ雑巾で軽く水拭き。NHKの首都圏ナビによれば「革は動物の皮膚、人間と同じなので汚れを落とすのは水が一番」らしい。全体を満遍なく濡らすことで輪染みも残らないという。その後は日陰干しして十分乾燥させてから保湿効果のあるクリームで仕上げると良いとのこと。

【参考資料②】
〜乾燥後のクリーム塗布〜
コツは少量のクリームとのことだが撮影用と補色を兼ねてやや多めにクリームを塗って周囲に伸ばしていく。最近でこそオロラセット用レッドウィング純正のクリームも出回っているが以前は中々合うものがなく、靴屋から勧められたのがコロンブスはブートブラックのカンパリ(色)だった。

【参考資料③】
ブラッシングと磨き上げ
写真は左側(右足用)がクリームを塗って乾拭きした後ブラッシングした状態。クリームを塗る前の右側(左足用)と比べてみると差は歴然としている。つま先の小傷は目立たなくなり革もしっとりかつモチモチ感が出ている。ビスポークや高級プレタだけじゃなくレッドウィングも立派なウェルト靴、実に良い靴だと思う。

(24) 汚れたブーツと比較
汚れたブーツとケア後のブーツを比較した写真。手入れの行き届いた靴は身嗜みの第一歩、靴好きに限らず汚れたままの靴を履いていると気になる人は多いはず。帰りの車中から最寄り駅までずっとモヤモヤしていた。ドレス靴好きならば「鏡面磨きを施したばかりのキャップトウに擦り傷が付いた」時の気分だろう。


明治3年に来日、後に日本の鉄道の恩人といわれた英国人技師モレルは日本の将来を見据え、測量をはじめ鉄道建設の技術を積極的に教えていったが一年半後に30歳の若さで生涯を終えてしまう。当時モレルと交流のあった井上勝はその意を汲んで日本人による日本人の為の鉄道建設を主導し今日の基礎を築いたという。

その井上勝も実は1863年に伊藤博文と共に英国へ密航、ロンドン大学で鉄道技術を学んで帰国している。中山道の難所碓氷峠にアプト式を採用するよう支持した鉄道省のシャービントンや130年後の今も威容を誇るめがね橋の設計に当たったパウネルなどモレル同様日本の鉄道発展に寄与した英国人技師の功績は大きい。

この夏は久々の英国訪問、ヨークの国立鉄道博物館を訪問するのも悪くない。鉄道発祥の国英国に日本の新幹線が展示されているからだ。もし日本の鉄道の恩人モレルやめがね橋の設計技師パウネルが見たらなんて言うだろう…そんなことを考えながら廃線ウォークの余韻に浸っている。

By Jun@Room Style Store