森人ケンさんを訪ねる | Room Style Store

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2023/06/04 07:27


このところ何かと慌しい。靴の受注会で名古屋に新幹線日帰り出張を強行した翌々日、今度は車で八ヶ岳に向かった。昨年12月に横浜のアトリエで靴を注文した菱沼 乾さんの工房がある場所だ。真新しいラストで作った仮縫い靴を宅配便で受け取り試し履きすること数回、いよいよフィッティングを迎えた。

乾さんから「八ヶ岳にお越しになられますか?」とのお誘いに「ぜひ!」と即答。「手持ちの誂え靴も参考に持参します。」と伝えると「フォスターのブーツが見たいです。」とリクエストが。以前からブログ愛読者だった乾さんの嬉しい一言にマイペースで靴情報を発信し続けて良かった…とつくづく思う。

そこで今回は緑豊かな八ヶ岳の麓で靴作りに励む森人ケンさんこと菱沼 乾さんの工房訪問と仮縫いの様子を紹介してみたい。

※扉写真は野辺山高原の牧場から眺める八ヶ岳

(1) 早朝の談合坂
下りとはいえ通勤時間帯の中央道は混雑する。早めに八王子ICを抜けて「談合坂SA」で小休止。最近は高速道路のSA(サービスエリア)が雑誌やTVでも何かと話題だ。ご当地もののフードサービスにこだわりのスイーツや焼き立てベーカリー、書店に行けば路線別SAランキングを特集する旅雑誌もある。

【参考資料①】
スターバックスで一休み
館内のスターバックスで久々にカプチーノをオーダー。サスティナブルな時代に合わせてか紙コップから陶製のマグカップによる提供に戻ったようだ。因みにスタバの日本初上陸は1996年とのこと。丁度海外でジョンロブパリの初ビスポーク靴を体験、一時帰国して銀座のスタバに寄ったことを思い出した。

(2) 待ち合わせの駅
「車のナビだと正確な場所を示さないので分かり易い場所でお待ちします。」と乾さんから連絡が入った。待ち合わせ場所は最寄り駅の「甲斐大泉駅」。ここで自分の車を留めて乾さんの車に乗り換えいざアトリエへ…工房への入り口は急坂なので車高の低い車だと腹を擦ってしまうらしい。

(3) 工房到着
初お目見えの工房は敷地内にある母屋から少し離れた場所に建っている。以前は夏になると草が生い茂っていたそうだが繰り返し刈り取ることで根を絶やし住みやすくしていったと聞いた。周囲に馴染む緑の外壁と屋根、コントラストの効いた白い窓枠やドア、デッキの手すりなど洒落た外観が目を惹く。

(4) 入り口
大学で建築学を学んだ乾さんはこの工房を自身で設計、完成させたという。「時々父親に手伝って貰いました。」と話していたが親子で一緒に家を建てる場面を想像するだけでなんとも素敵だ。何よりフルハンドで工房を完成させた経験が大きさの違いこそあれ靴作りに生かされているのだと思う。

(5) 母屋にて
母屋で持参したビスポーク靴を見つめる乾さん。直接手に取って見ることで靴作りに役立つなら持参した甲斐もあるというもの。この後机上の靴を実際に履いて足の収まりや皺の寄り方などを確認したり触診したり、或いは一緒に納品されたツリーからラストのシェイプを思い描いてるようだった。

(6) 新しいワークショップ
こちらは建築中の新工房。早めの稼働を目指して晴れた日は大工仕事に集中、いきおい靴作りは雨の日になってしまうと気にしていた。手前がショールーム、サンプルを置いたりフィッティングスペースになるのだろうか。光が入るよう大きく取った窓が2つ続く奥が靴作りの作業場になるとのこと。

(7) ツーバイフォー工法
基礎は生コン業者を呼んだもののあとは手作りで作業を進め既に写真の状態まで到達。分業しやすく工期も短くできるツーバイフォー工法の強みを生かして友人と3人で作業を進めているようだ。乾さんが私と話す間も友人のお2人は家作りに励んでいた。靴の納品はこの新工房で行われるかもしれない。

(8) ワークショップへ続く小道
現工房と新しい工房を繋ぐ小道。傾斜を整地して砂利を蒔き、地ならした小道が続く。靴作りはもとより工房や周囲の環境を見ているだけで心が和んでくる。人は自然に近い環境に身を置くと副交感神経が活性化して疲れやダメージを回復させるという。こんな素敵な場所なら良い靴が出来るに違いない。

(9) 細部にこだわる
さて現在の工房に戻っていよいよ仮縫い。ふと見ると入口のドア横に可愛らしい呼び鈴が…ぶら下がった小鳥でベルを叩くのだろうか。帰宅後ネットで調べたらフクロウVerやウェルカムの文字付など洒落たものが取り寄せ可能だった。我が信州の山小屋にも似たものを買って付けてみたくなる。

【参考資料②】
味わいのある古時計
入口の古時計。平井堅の歌で有名な「大きな古時計」と同じく乾さんの祖父の代から使っている年代物の時計らしい。ゼンマイを巻くタイプで現役の柱時計、とはいえ「巻くのが億劫で…」と話す乾さん。自分が幼い頃は時計のゼンマイを巻くのが家事のひとつだったことをふと思い出した。

(10) モックアップを履く
この日まで3回ほど履いた仮縫い靴を再度試着。ベースのラストがスマートラウンドということもあり、捨て寸が若干短い気がする。つま先に向かって両側から先細りになるシェイプは「インサイドストレート、アウトサイドカーブ」の英国スタイルに慣れているせいか印象がだいぶちがう。

(11) 触診(その1)
踵の収まりを見る乾さん。つま先の先端はややボリュームを持たせているがもう少し横から見た厚みを抑えてジョンロブパリのように平たくすることを確認。また前回の採寸時に迷った外羽根のデザインは左右のパターンを変えて仮縫い靴を作っているので写真右側(左足)のスタイルでお願いした。

(12) カットする
つま先とボールジョイントの両側、アーチ部分の外側と踵をカットしていく。切れ味のいいナイフとはいえアッパーをカットしていくのはそれなりに力が要るもの。特に踵やつま先は芯が入っているからだろうか…ナイフを持つ手にも力が入る。集中する場面なので暫く沈黙が続いた。

(13) 再び履く
写真はカットモデルを履いてみた図。カットした後で見てみるとつま先の「捨て寸」はそれほど多くないものの若干伸ばしてカーブを緩くすることで「窮屈に感じなくなる」とのこと。後はボールガースの内側とインステップガースの外側、それに踵をカットして収まりをチェックしていった。

(14) 触診(その2)
カットモデルを脱いだ後は再度触診して足の様子を見ていく。触診で気になった箇所が木型に反映されているか時折削りたてのラストにも手を触れて確認していく。踝が低いため靴の履き口外側が当たらないようお願いしていたが乾さんの仮縫い靴はその点も抜かりなく反映されていた。

(15) 役目を終えた仮縫い靴
こちらは役目を終えた仮縫い靴。つま先の形状とパターンについて乾さんと相談。もう一度仮縫い靴でフィットを見てから本番用の革で作ることになった。目下アッパーは猪の革だがSNSで上げていたサンプル靴の新喜皮革特製コードバンも気になる。1.5万円の上乗せで日本の靴職人×日本の革も悪くない。

(16) ラスト
乾さんのベースラストは木製。つま先は元々のシェイプを生かしているがこの辺りに少し手を入れるようだ。こうしてみると修正箇所は足の外側に多いことが分かる。自分の足は「甲高」だと思っていたがアイレット付近には革を乗せて削った跡がないので元々のラストと相性は悪くないのだろう。

(17) 工房の様子
工作機械が並ぶ工房。完成後は「製甲や釣り込み」など繊細な仕事は新工房で行うとのこと。インターネットが普及している現在では繁華街に店舗を持たずとも集客は可能だ。寧ろ乾さんのように自然の豊かな場所に工房を構え、集客や応対はネット中心に節目毎に工房で対面というのが理想かもしれない。

(18) 仕掛かり中の靴
こちらは仕掛かり中の靴。ラストに釣り込んだ状態や底付けの終わった状態など乾さんがコツコツ作業を進めている様子が良く分かる。自分の靴の魅力を知ってもらうには「もっとたくさんサンプルを作らないと…」と語る乾さん。なるほど、確かに職人の腕を見るのにサンプルは欠かせない。

(19) サンプル
こちらはサンプルのフルブローグ。一世を風靡したコルテなど流麗でデザインが際立つタイプとは真逆の定番靴。ただしコバの目付けやウェスト部分のくびれなど独特のオーラを放っている。英国の老舗が作った紐靴を「究極の実用靴」と形容する知人の言葉がそのまま当てはまる力作だ。

(20) 仕上がった靴
こちらは納品される靴。エドワードグリーンのドーバーと似ているが注文主の意向が上手に反映されている。縫い目のないつま先や3アイレットの外羽根、羽根の根元はスキンステッチだろうか…素材はユタカーフとのこと。正にビスポークならでは、唯一無二の靴に仕上がっている。

(21) 側を通る小海線
八ヶ岳といえば小淵沢と小諸を結び日本一高い場所を走る小海線が有名だ。最高地点は標高1375メートルにもなるという。ちょうど工房見学中に「踏み切り」が鳴って列車が通過する音が聞こえたので側まで行って撮影。まっすぐ伸びるレールは映画「スタンドバイミー」を思わせる。

(22) 懐かしの踏切
緑深い森の中を走る小海線だが線路の両側は別荘がちらほら。道幅は狭く自動車がやっと1台通れるかどうかという踏切は都会並みの「第1種自動遮断機」が設置されていて驚いた。恐らく生活道路として機能しているのだろう。皮肉なことだが自然の中で暮らすには文明の利器である車が欠かせない。

(23) 濃厚ソフトクリーム
工房見学と仮縫いの終了後は乾さんと友人の乗る車に便乗してソフトクリームにチャレンジ。一帯は同業他社が多いものの週に一度は行くという乾さんは「ここが一番です。」と太鼓判を押す。地元をよく知るだけに味も絶品だ。遠くに見える八ヶ岳の主峰赤岳と一緒にソフトクリームを撮影。

現在建設中の新工房を見学中「寸法違わず出来上がるものですか?」と尋ねたら「両端で微妙に寸法が違うこともある」らしい。その場合は全体を上手く調整して仕上げているとのこと。晴れ間が続く5月の間に屋根付けを終えて、梅雨入り後は雨が降る中でも「内装を進められるようにしたい…」と語っていた。

6月に入り台風が接近、関東甲信越も間もなく梅雨入りとか。訪問後一週間経ったが屋根は付いて内装作業は進んでいるだろうか、それとも雨音を聞きながら靴作りだろうか。「豊かな自然の中で製作活動できるのは良いけれどその分買い物は大変…」と言っていたが友人と交替で作る料理のメニューも中々のものだ。

家の設計図や建築に始まり木型や靴作りまで職人菱沼 乾の日々は正に手作り、「8人の靴職人」展や銀座の「展示会」で見た靴に「手練れ」を感じるのも納得の暮らしぶりだった。

By Jun@Room Style Store