四都物語:前編 | Room Style Store

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2022/08/15 11:43


コロナ禍前の2019年は2008万人と過去最高を記録した日本人の出国者数は感染拡大の2020年には320万人に落ち込み、国際往来が制限された2021年は97%減の51万人だったという。毎日飛行機を飛ばせば確認しなくても良い点検項目が飛ばないとでいると次々に増えるため、整備目的の空フライトに人を乗せて遊覧飛行を行うなど航空会社はピンチをチャンスに変えてきた。

2022年にはコロナとの共存を模索する中でいち早く観光客の受け入れに舵を切ったEUやアメリカ。さらにオセアニアや近場のアジアでも再び観光客の受け入れが始まっている。日本でも今年のGWは海外への出国が13万人を超えたがそれでも2019年の−90%だという。コロナ対応や欧米の物価高、ウクライナ危機に銃の乱射事件など、海外旅行に向かうマインドは今一つだ。

ともあれ来年の夏に向けて航空券を予約した。最後の訪問がパンデミック前年だから4年ぶりになる。前回は久しぶりに欧州内を鉄道で移動したが今欧州では脱炭素、コロナ対策で鉄道旅行が復権中。そこで今回は2019年の欧州鉄道旅行を振り返りながら次の旅行の移動をどうするか考えてみようと思う。

※扉は前回の旅行帰国時のヒースロー

【欧州へ】
(1)乗継便で ローマへ
昔はローマへ行くならアリタリアかJALだったがJALは2010年の経営破綻以降今も直行便がない。この時はヘルシンキで乗り換えローマに向かった。実は以前ローマでアリタリアのダブルブッキングに遭い、JALローマの手配でBAに振り替えて貰ったたことがある。以来二度と乗るまいと誓ったアリタリアは結局2021年に経営破綻した。

(2) JALで過ごす(昼食)
欧州旅行は洋食の連続、せめて機内食は和食が良い。おかげで気分は軽やかだ。アリタリアのダブルブッキングに対する塩対応とJALローマの神対応を目の当たりにして以来ANA派からJAL派になって久しい。時期も原因も違えど共に経営破綻した後、廃業したアリタリアと再建したJAL…明暗を分けたのはあの時の対応の差かもしれない。

(3) 到着前の軽食
ヘルシンキ到着間近に出される軽食も和にこだわる徹底ぶり。普段はコーヒー党だが緑茶もありだと感じた。ヘルシンキ到着後はIC旅券の自動読込でEU入国手続きは楽に終了、ほどなくローマ行きの機内へ。狭い3列シートに座ると昔南回りで24時間かけてヨーロッパに向かったことを思い出した。機内はイタリア人が多くJALの機内と違って賑やかだ…。

【1都市目ローマ】
(4) ローマで靴を注文する
ローマに着いて翌日、ローマ在住の靴職人吉本さんを招いて採寸、靴をオーダーした。後で気付いたが長旅で相当足が浮腫んでいたようだ。日本で仮縫いを行った時は靴が緩くて、吉本さん共々フライト翌日のオーダーは避けた方が良いことを学んだ。採寸後は夕食を交えて歓談、同席のイタリア人ともイタリア語で楽しそうに話していた。

【ローマ今昔①】
〜ローマ店の閉店〜
ローマといえばシルバノラッタンジ…1992年に最初の店舗をローマに開いた名靴屋も閉業、同じローマのシャツ屋バティストーニに代替わりしたらしい。スペイン広場にほど近いボッカディレオーネ通りという絶好のロケーションだっただけに残念だ。GATTOの商標権をもつシルバノラッタンジの行く末を案じてしまう…。

~Fatto a mano(手仕事)~
機械式のグッドイヤーウェルト靴が最上とされた既成靴業界にハンドソーン(手縫い)既成靴を持ち込んだシルバノラッタンジ。初期の作品はコバの張ったデコラティブなものもあったが手仕事満載の靴は中々の存在感。写真のセミブローグも一見普通だがコバ周辺を見るとただものじゃないオーラが出ている。

〜Hand Sewn〜
こちらもローマ店で購入した外羽根のセミブローグ。オーソドックスなハンドソーンの外羽根靴はロンドンハウスのルビナッチさんが好きそうな一足だ。こちらはSoldの時に買ったもの。一足先に秋の装いを…ということでインコテックスのパンツにイタリー製のソックスで色合いを揃えてみた。久々のイタリアンクラシックも良いものだ。

(5) ボルサリーノ訪問
吉本さんとお会いした翌日はチェントロのボルサリーノを訪問。こちらも2017年に経営破綻し目下再建中、応援を込めてパナマハットを購入した。価格は260€だがVAT還付後は更にお手頃価格になる。因みに日本の定価は57,240円(当時)、内外価格差は2倍だが既に2019年2月1日に対EU貿易協定(EPA)は発行済み。今後の価格差解消に期待したい。

(6) パンテオン
買物の合間にパンテオンで一休み。内部は涼しくラファエロの墓碑を見学しているうちにクールダウン…。ミサなどの行事がなければスムーズに入れるがノースリーブなど極端な軽装は断られるので注意が必要だ。入場は無料、明かり取りの開いたドーム型の天井を見上げると紀元115~118年に再建された建物が現存する事実に感動する。

【ローマ今昔②】
〜バティストーニ〜
こちらは25年前と変わらぬバティストーニ。既成シャツが並ぶ店内の奥こそ本命。誂えシャツは最低3枚(当時)だったが生地のストックや縫製、着心地のどれもハイレベル。ここのシャツを着てパリのシャルベに行ったらゲージサンプル試着中、カッターがバティストーニのシャツをひっくり返して穴が開くほど見ていたことを思い出す。

〜カルロリーバのシャツ〜
手縫い部分は袖付け部分と釦穴、イニシャルくらいだがフライのシャツ同様ミシンを駆使した精緻な仕上げがバティストーニの持ち味。3枚すべてカルロリーバで注文したが大正解。値は張っても良い生地で注文した方が満足度が違う。横のボルサリーノは初代。すっかり日焼けして麦わら帽子のようだが結構味があって重宝する。

(7) ジェラートの名店
パンテオンを出たら近場のジェラート屋へ。こちらは最近日本にも進出したVenchi(ヴェンキ)のチョコジェラテリア。トリノが本家だがローマでも評判のジェラートは天然由来の素材を中心としたナチュラルな味わいが特徴。今ではなんと世界135を超える直営店を有するとのこと。東京の銀座をはじめ大阪にも店舗があるようだ。

【ローマ今昔③】
~G.Mariniの誂え靴~
ローマっ子の憩いの場ボルゲーゼ公園にほど近いフランチェスコ・クリスピ通りの97番地にワークショップを構えるG.MARINI。写真は2000年代初めの店舗。今は店構えの周りに手が加えられかなり洗練されている。たまたま通りかかった際シェルコードバンの原革を並べていたのを見つけてオーダーしに入った。


~G.Mariniのサンプル~
こちらがオーダーする際に参考にしたプレーントウ。5アイレットの外羽根ながらヴェベルドウェストのエレガントなデザインが特徴。下に敷いた「シェルコードバンで作って貰いたい…」と注文。バーガンディとラベロとウィスキーの3色揃ったコードバンから最終的にウイスキーをチョイスした。

~ウィスキーシェルのプレーントウ~
完成したマリーニの靴。注文後は仮縫いがないので出来上がりを待つのみ。一年近く経った頃連絡を貰い引き取りに再度訪問。注文時にアイレットの数を4つに変更しているので完成品はノーズの長いスタイリッシュな外羽根靴に仕上がった。写真では分からないが踵はシームレスなのでアッパーの釣り込みは気を使ったと思う。

(8) フレッチャロッサ
ローマを離れて二都市目のミラノへ…イタリア版新幹線フレッチャロッサで移動。昔よく乗ったユーロスターイタリアから2012年に交代したようだ。『赤い矢』の意味を持つ列車だけにミラノまで2時間55分という弾丸ぶり。朝の時間帯は車内サービスもイタリアンローストのコーヒーとスナック、それにミネラルウォーターとシンプル。

【2都市目ミラノ】
(9) ミラノに泊まる
ミラノに到着。翌日パリに列車で向かう関係で駅に近いホテルにチェックイン。室内は十分なスペースに落ち着いた雰囲気。ネット予約せず現地の旅行代理店を通してイタリア語で予約したもらったがことは全てスムーズだった。ネット万能の世の中だが時には旅行のプロに任せるのも悪くないと思った。

【ミラノ今昔①】
~メッシーナの靴~

写真はミラノの誂え靴屋だったメッシーナの靴。日本でイタリア式注文靴の第一人者古幡雅仁さんから「親方と息子さんが相次いで亡くなり奥様と職人で昔の顧客の注文を受けている」との連絡を貰いつつも再会を果たせず廃業してしまった。写真は「黒靴以外はヴェベルドウェストにはしない」と頑固だった親方最後の靴だ…。

(10) ハッピータイム
ホテルからミラノ中央駅まで歩いて地下鉄に乗りドゥォーモ駅で下車。ミラノで一番の観光スポットといえば大聖堂(ドゥオーモ)だ。着いたら威容を間近で見られるお薦めの場所で一休み。カフェも良いが日暮れ時はハッピーアワーでジントニックも悪くない。昔と違って最近は殆ど買い物もしないので行き交う人々を見ながらのんびり時が過ぎるのを楽しんでいる。

(11) ドゥオーモ
夕暮れ時のドゥオーモ。西日を浴びて赤みの強い正面と雲一つない青空のコントラストが印象的だ。世界最大級のゴシック建築様式であり広さはバチカンのサンピエトロに次ぐ世界第2位とのこと。フレーム内に収めるのも中々苦労する。第二次大戦中の1943年、空襲時に連合国側の判断で爆撃を免れたという。

(12) アーケード
ドゥオーモ近くの名所ヴィットリオエマヌエーレ2世アーケード。ショップ閉店後もご覧の通りの人混み。既に店舗は閉まっているがアーケードを見るだけでも確かに価値がある。巨大なガラス張りのアーケードは4階建てのさらに上、なんと築150年近いそうだ。当時の建築水準の高さに驚かされる。

【ミラノ今昔②】
ミラノのシルバノラッタンジ
グーグルで検索したらローマだけでなくミラノのシルバノラッタンジも閉店したようだ。写真はミラノのブティック。日本で扱いがあった伊勢丹の一覧からも名前が外れたので何かあったのかもしれない。オフィシャルサイトによればNYや上海、モスクワにショップを構えていたようだがコロナ禍と今回のウクライナ戦争で困難な状況に拍車がかかったのだろうか。

名靴アスキット
ミラノ店で購入したセミブローグ。アンソニークレバリーのようなシャープなつま先がイタリア靴には珍しい。クラシコイタリアのスーツやジャケットとの相性も抜群。フィレンツェのマウロヴォルポーニでは同じ既成靴ならエドワードグリーンやジョンロブパリより「ラッタンジだよ…」と言っていたことを思い出す。

~ベンティベーニャ製法~
こちらも2000年にミラノのブティックで買ったもの。店員(日本の青年)によればベンティベーニャ製法と呼ばれる凝った作りらしい。色々試して購入したら帰国後に件の店員から小包が届いた。なんでもうっかりツリーを付け忘れたそうで「ラッタンジ本人に叱られて急いで送った。」とのことだった。あの時の青年は今何をしているだろうか…。

(13) ミラノ中央駅
翌日は店が閉まる日曜日。せっかくなのでアウトレットツァーのバスをスマホ予約してチケットをダウンロード。ミラノの中央駅に集合した。ダブルデッカーのバスは日本と同じトイレ付きなので多少の長旅でも安心。目指すはセッラヴァッレアウトレット、ミラノまで約1時間という近場だがミラノというよりジェノバの方が至近だ。

(14) アウトレット
イタリアのアウトレットらしくイタリアンブランドが充実。キトンやイザイアなどのクラシコイタリア系からラルディーニやヤコブコーエン、イタリアを代表するグッチやプラダもある。日曜日のミラノチェントロで人混みを避けるより郊外のアウトレットで時を過ごすのも悪くない。買物しなくても結構楽しめる。

(15) ビットローファー
セッラヴァッレで購入したグッチのビットローファー。派手な素材使いの靴やスニーカーが並ぶ中、定番のビットローファーが逆に目を引く。マッケイ製法で返りも良く絶妙なラストに適度な長さのモカ部分やタン。ゴツいウェルト靴は疲れるな…と感じ始めたトラッドマンにお薦めしたい名靴だ。

ビットローファーを履く
写真はグッチのビットローファー+ヤコブコーエン。カジュアルフライデーからエブリディカジュアルにシフトしつつある世の中、ビットローファーは女性にも人気があるらしい。パンプスより快適で華やかな金具(ビット)がお洒落感を高めるとか…。よく似た他社のビットローファーもあるが元祖に勝るものはなし…。

(16) Thello夜行寝台
ミラノには1泊だったが翌日も一日中観光を楽しんでいよいよ深夜のミラノ駅からパリに向かう。飛行機より時間はかかるが寝ている間にパリに運んでくれるし個室にはシャワーもある。時々どこを走っているのかカーテンを開けて夜の景色を見ていたが、いつの間にか深い眠りに落ちていた。

(17) 個室A寝台の車内
左は洗面所とアメニティグッズ、右はシャワー室。列車内ということもありスペースの制約はやむを得ないが温水シャワーで身体をさっぱりした後は服も着替えて新鮮な気分で朝を迎えられる。預けたパスポートを車掌から受け取り列車はフランスの平原を進む。パリのリヨン駅までもうすぐだ。

(18) 朝食
食堂車で取らずにテイクアウトして個室で朝食を…ドーナツにクロワッサンとオレンジジュース。それとフレンチローストのコーヒーがこの日のメニュー。ミラノから飛行機でパリに向かったとしたら今頃はまだミラノの空港だろうか…チェックインや搭乗手続き、パリの空港に着いてからも何かと面倒だ。鉄道旅行の便利さを実感する。

(19) ディジョン通過
途中ダイヤの関係で客扱いはないもののディジョンでしばし停車。フランス料理に欠かせないディジョンマスタードの産地だ。スマートフォンの地図アプリを使って周囲を検索すると途中ブレス鳥で有名なリヨンやワインで有名なマコンを通過してきたことが分かる。飛行機では味わえない旅の楽しみだ。

【パリ】
(20) Gare de Lyon 
いよいよパリに到着。ローマからパリまで列車を乗り継いできたが、この後最後の訪問地ロンドンも含めると全行程1433㎞の移動になる。因みに日本最南端の西大山駅から最北端の稚内駅まで2862㎞、改めて日本が南北に長いことに気付くかもしれない。ともあれ四都物語の前半は終了、後半のスタート、パリには最高の気分で到着できた。

昔はヨーロッパを旅するなら鉄道が良いと言われた。特にEU発足前は国を超える前に両替したお金を使いきったり国越えの度にパスポートや切符を提示したり…。バックパッカーに「この列車はズーリックに行くか?」と聞かれたこともある。「はてそんな地名あったか?」と訝しがるとチューリッヒのことだと分かって大笑いした。なぜ東洋人の自分に聞くのか…と思ったが彼もまた旅行者、お互いの情報交換が役立つ時代だった。

当時は高根の花だった欧州便も2000年代に格安航空会社(LCC)が参入、直近では一日平均18万便が飛んでいたという。AMP(アンプ)メディアは二酸化炭素排出量の問題で「航空機利用は飛び恥(Flying Shame)と呼ばれ、飛行禁止運動さえ起きながら増え続け、ある日突然はじけた。」と書いている。パンデミックで状況が一変したことを指すが、「実はそれ以前から欧州内の鉄道回帰は始まっていた」ことが明らかになっている。

二酸化炭素の排出量を比較すると鉄道は0.5%、航空は14%、海上が13.5%、道路が72%…航空と道路の排出量を鉄道にシフトすることが如何に自然な流れか理解できるだろう。東洋経済によれば結局のところアリタリアが経営破綻したのもLCCとの競争に加え高速鉄道との競争にもまれる中で体力を落としたことが原因だと結論付けていた。生き残りをかけた戦いは始まったばかりだ。

By Jun@Room Style Store