東欧の名靴工房(後編) | Room Style Store

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2022/11/28 10:25



ボノーラの廃業については前編の最後でも触れたと思うが、日頃店頭に立ち経営状態を知るショップマネージャーだったダニエレがボノーラを辞めたのは明確な理由があったはず。図らずもダニエレの退職後にフィレンツェのショップを訪問、ドアを開けた瞬間からその理由が肌で感じられた。新しい二人の店員は挨拶こそ交わすものの来客には一切お構いなしで話に夢中だ。

「ブーツを取りに来た」と告げると事務的に奥から取り出しフィッティング。ところが値段がダニエレの提示額とは全然違う。「確認してくれ」と頼むも「データがない」とだんまり。幸いデポジットを払ってなかったので受け取らずに店を出た。アリタリアのダブルブッキングでも味わったが、都合が悪いと彼の地では知らぬ存ぜぬとだんまりを決め込む場面が間々ある。

結局二度と訪れぬままフィレンツェのボノーラは店を閉じた。苦い思い出も全て封印したが、ある時サンクリスピンとやりとりしたところマイラストが保管されていることを知った。そこで今回はマイラストの復活とオーダーの再開に焦点を当ててみようと思う。

※扉写真はサンクリスピンのシューツリー

《ボノーラ最後の注文》
(1) ホーウィンコードバン
ボノーラでの最後の注文となったギリーシューズ。典型的な内羽根のギリーブローグとは違って外羽根の珍しいデザインだがアザミを模したトウデザインやサイドの穴飾りはギリーの名に相応しい。外羽根とはいえドレッシーな平紐や先端にタッセルの付かない外観はかなりスマートな印象だ。

(2) 革の素材とヒールの仕様
以前ミラノの注文靴屋で「踵の縫い目から裂けることがあるからうちはシームレスにしてる。」と聞いていたので4足目はシームレスヒールを要望、革も当初のスェードから急遽「コードバンに変更したい」と宿から電話を掛けるなどかなり我儘だった。だが有能なダニエレは写真のとおり完璧な靴を用意して受け取りを待っていたのだった。

(3) アーチ
4足目で初めてベヴェルドウェストを依頼。ようやくロンドンの注文靴でお馴染みのグラマラスな仕様がボノーラにも追加された。ただしソールはロンドンの誂え靴より厚くて繊維は密、如何にも頑丈そうだ。石畳の多いフィレンツェの街並みにはきっとよく合うのだろう。長時間履いていると結構足に来る。

(4) ウェルトステッチ
ウェルトのステッチ(出し縫い)はいつもの生成り色。職人が精魂込めた「手縫い」の見せ場だけにコバと同色で目立たなくするのはもったいない。写真を見ると出し縫いのピッチは12SPI(1インチ=25.4㎜当たり12ステッチ)だから結構細かい。因みに靴の注文時に出し縫いのピッチを指定する注文主もいるが自分は職人に任せてしまう方だ

(5) 履いてみる
このユニークな外羽根ギリーがサンプルとしてボノーラの店内に並んだのが2004年。現在もサンクリスピンのウェブサイトには派生モデルが掲載されているところをみると息の長いデザインということになる。ギリーと相性抜群のアーガイルソックスとコンビを組んでみると何だかスコットランドの景色が頭の中に浮かぶようだ。

《サンクリスピン時代へ》
【参考資料①】
閉店後は思い出すこともなくなりつつあったボノーラだったが、製造元のサンクリスピンが公式サイトを立ち上げたのを機にメールでラストの存在について問い合わせてみた。手掛かりは上の写真のシューツリーに書かれたB027という番号だ。予想どおり頭文字はボノーラのB、27番目の顧客だったようで「保管している」との回答があった。

〜通算6足目〜
(6) アデレード再び
サンクリスピンの公式サイトを見ると既成靴とMTOが中心。ビスポークサービスは欧州内のトランクショウを対象としている感じだった。既成靴のモデルからフルブローグのアデレイドを選んで「自分のラスト(B027)で作ることは可能か?」と聞いたところ「問題ない」との返答が…。かくしてマイラストは再び日の目を見ることになる。

(7) アーチ
アーチは外側も内側もベヴェルドウェスト仕様。ボノーラ時代の黒ビスポーク靴よりウェストがキュッとくびれていてドレッシーな雰囲気がある。アデレードのフルブローグはサンクリスピン定番モデル、今もブラックやダークブラウン、スペクテイターなど複数ラインナップされている。

(8) ペイス
ウェスト部分に見える木釘(ペイス)を打ち込んだ跡。本格的なベヴェルドウェストは手縫いによる出し縫いでないと不可能なため、マシンによる出し縫いの場合はウェスト部分を木釘で留めることでキュッと持ち上がってくびれたベヴェルドウェストにすることが可能とのこと。オールソールの場合はこの木釘も引き抜くことになる。

(9) ライニング
ライニングは赤を依頼。現在公式サイトのオーダーシステムではライニングの色を指定する項目はないが、元々ボノーラではビスポーク客だったこともあり細かなオーダーに対して融通が利く。以前は既成靴の工房も所有していたようだが現在は既成もMTOもビスポークも同じ小さな工房で作っているとのこと。

(10) 履いてみる
つま先に加え靴の両サイドにも穴飾りのある濃い目のデザイン。とはいえ黒という色のせいかギンピングのない切り返しのおかげか見た目はすっきりとしている。黒の紐靴それも内羽根だったら無理してカジュアルな服に合わせるのは止めて黒ソックスとの鉄板コンビにグレースーツを合わせる王道スタイルが一番か。

〜通算7足目〜
(11) レザーソウル別注
ハワイの靴屋レザーソウルが別注したモデルを見てサンクリスピンにメールを送り、「全く同じ仕様で木型をマイラストで…」とオーダーしたのが写真のスプリットトウダービーノルウィージャン。素材はインカカーフと呼ばれる独特のシボが入ったグレインレザー。確かレザーソウルと同価格でMTOできたと思う。

(12) 踵のシーム
踵両脇のシームやレースステイ上部の切り返しなどちょっとしたデザイン上の工夫が盛り込まれている。現在はフィリップカーが代表を務めているが創業者マイケルローリッグは元々シューデザイナー。質実剛健な東欧の靴というイメージというより洗練された靴を生み出すデザイン力があると思う。

(13) ステッチの妙
360°コバの周りを取り囲む力強い二本のステッチとその外側に見える細かな出し縫いのステッチ。上に目をやればエプロン部分のモカステッチにつま先のスキンステッチ。更に外羽根の付け根にも留めステッチが入るなど自分のような手縫いステッチ好きを歓喜させるに十分な面構えの靴だ。

(14) シューツリー
ボノーラ時代から殆ど変わらないヒンジ式のシューツリー。素材はメープル(カエデ)、硬くて丈夫な材質とすべすべした木肌、乳白色の明るい色目が特徴。木材としては比重が高く重いようで写真のように内側を大胆に刳り抜いて(Hollowed)軽くしている。スーツケースに靴を仕舞う時は軽量タイプのツリーがあると大いに助かる。

【参考資料②】
シューツリーの重さの違い
まずは左側のニス塗り重厚なシューツリーはフォスター&サン(上)とジョンロブ(下)。重さは共に0.4㎏、正確には0.375㎏と殆ど同じだ。因みに現ジョンロブのツリー職人は元フォスター専属らしい。次に右上のトラベル用ウェストンのシューツリーは0.3㎏だが実際は0.32㎏、右下のサンクリスピンは0.2㎏だが実際は0.235㎏…結果はサンクリスピンの圧勝だった。

(15) 履いてみる
レザーソウルによるとデザインは「J.M.ウェストンのハントダービーとエドワードグリーンの合わせ技」らしいが、履いた印象はハントダービーよりスマートでドーバーよりかっちりとしている。因みに2012年当時で1850㌦の価格は当時の1㌦が約80円の超円高。ツリー付きで148,000円という破格値だった。

〜通算8足目〜
(16) スプリットトウブーツ
こちらのブーツについては既に当ブログ「サンクリスピンの実力」というタイトルの記事で紹介済みだが新たな気付きを幾つか…。まずはアイレットの数だがサンクリスピンのブーツは最大アイレット(またはフック)8列までだが写真のブーツは9列。シャフトの長さを指定していることもあってパターンを新たに興したようだ。

(17) プルタブとツリー
サンクリスピン側から問い合わせのあった履き口後ろ部分のプルタブは「付けない」と回答したがMTOのオプションにはプルタブの有無を選択できるようになっている。一方ツリーは短靴と同じヒンジ付きのシューツリーしか選べない(166€)ようだが、ファクトリーとのやり取りではブーツタイプのツリーも注文できそうな話しぶりだった。

(18) トウプレート
サンクリスピンのトウプレート。J.M.ウェストンのハントダービーとよく似た無垢の金属プレートがかっちりと収まっている。LULUタイプのものより厚みがあって如何にも頑丈そうだ。公式サイトのMTOオプションのソール欄をチェックしてもトウプレートの選択はないが勿論リクエストすれば付けてくれる。

【参考資料③】
頑丈なトウプレート
重厚なウェストンのハントダービー(上)とサンクリスピンのブーツ(下)。ウェストンの方はトウプレートの厚みが1.2㎜なのに対してサンクリスピンの方は見るからに厚いのが分かると思う。実際測ってみるとおよそ2.2㎜はある。その差はほぼ倍に近い1㎜、つま先の耐久性も大いに違ってくるだろう。

(19) タン
カントリータイプの短靴や長靴では標準仕様のベローズタン(蛇腹式のタン)。素材もアッパーより薄くて柔らかいものを使っているので甲部分への負担も少なく快適に履ける。因みに細かな仕様とツリー込みでオーダー価格は1619€、当時のレートが1€=123円なので20万円弱で手に入れたことになる。

(20) 仮縫いなしのブーツ
ハッチグレインのシャフト部分がやや太い印象のブーツ横顔。短靴ならボノーラ時代のデータがあるのでフィッティングの精度は十分だがブーツだとそうはいかない。もしブーツを今後更に注文するなら①履き口周囲②シャフトの全高は伝えたが③踵から踝まわりや④足首周囲などもう少し詳しい計測データをフィードバックする必要がありそうだ。


閉店後のブランクを経て製造元のサンクリスピンに注文を再開し始めるとボノーラ時代のマイラストがよく出来ていることに改めて気づいた。ラスト保有者が定期的に再注文する傾向にヒントを得たのかサンクリスピンでも新たに①自己採寸②データ送信③トライアルシューズによるチェック④ラスト作成⑤注文靴作成⑥デリバリーというサイバーオーダーをスタートさせたという。

一方でボノーラ時代は出し縫いもハンドだったものをサンクリスピンではマシン仕上げに替えたりベヴェルドウェスト部分も木釘を用いたりとビスポークとMTOの区別を明確にしている。むろん昔のボノーラ時代のように手縫いの出し縫いをリクエストすればアップチャージはかかろうがロンドンのビスポークシューズに負けないベヴェルドウェストの靴を手に入れることは可能だ。

1992年に本格的シューズブランドとしてスタートしたサンクリスピンは今年で創業30周年。小さな工房に保管されているマイラストでいつかまた靴をオーダーしてみたいものだ。

By Jun@Room Style Store